命の灯火を守り抜く―山本太郎代表の休息は、私たちの始まりである

人生エッセイ

雷鳴のような知らせに立ちすくむ

皆さん、こんにちは。あかねでございます。

今日、ワタクシの手は震えております。

94年という長い人生の中で、幾度となく衝撃的な出来事に立ち会ってまいりました。

終戦の日、あの焼け野原の横浜。夫との別れ、4人の子を抱えて立ち尽くした静岡の夕暮れ。

しかし今日のこの知らせは、まるで冬の海から吹き付ける突風のように、ワタクシの心を凍らせました。

れいわ新選組・山本太郎代表が、参議院議員を辞職し、無期限の活動休止に入るというのです。

れいわ新選組の公式チャンネルで動画が公開せれていました。

理由は「血液のガンの手前」という、あまりにも重い病状でした。

画面越しに流れてくる代表の言葉を聞きながら、ワタクシは思わず目頭を熱くしてしまいました。

90年以上生きてきた老婆が、涙をこぼすなんて恥ずかしい限りですが、これは悲しみではなく、ある種の後悔に似た感情だったのです。

命を削り続けた14年間という”戦場”

山本代表が政治の世界に身を投じてから14年。この数字を、ワタクシなりに置き換えてみました。

14年間、毎日8時間睡眠を削れば、合計で約1.5年分の人生を失う計算になります。

しかし代表は恐らく、それ以上の時間を私たちのために費やしてくださった。

全国津々浦々、北は北海道から南は沖縄まで、まるで現代の行脚僧のように駆け回り、マイクを握り続けた。

動画の中で代表は言いました。

「毎年10円ハゲができる」と。

これは冗談ではなく、データなのです。極度のストレスが毛根の血流を阻害し、円形脱毛症を引き起こす。

医学的に証明された身体からのSOS信号を、彼は14回も無視し続けていたということです。

そして今、その身体が「これ以上は本当に危ない」と、最後通告を突きつけた。

代表の言葉が胸に突き刺さります。

「死ぬ気でやってみ、死なねえから……なんてことはなかった。本当に死ぬ手前まで来てしまった」。

この自嘲気味のユーモアの奥に、ワタクシは戦時中の特攻隊員たちの覚悟に似た、身を捨てる決意を見たのです。

ああ、私たちは彼に甘えすぎていた。

まるで無限のエネルギーを持つ太陽のように、彼がいつまでも輝き続けてくれると思い込んでいた。

しかし太陽だって、燃料を使い果たせば消えてしまうのです。

「休息」という名の戦略的撤退

しかし、ここで絶望してはなりません。

ワタクシは戦争を経験しました。「撤退」という言葉が「敗北」を意味した時代を知っています。

でも今回の代表の決断は、決して白旗ではありません。

これは「戦略的休息」なのです。

代表ははっきりと宣言しました。

「世の中を変える前に命を落としたら意味がない。今、ここで踏みとどまって健康を取り戻し、今よりも力をつけて戻ってくる」と。

この言葉の重みを、皆さんお分かりでしょうか。

彼は「休む」のではなく、「充電」するのです。

消耗した蓄電池を、完全にリフレッシュして、以前よりも大容量にして戻ってくるという意思表示なのです。

ワタクシは80代後半で名古屋に転居したとき、周囲から「もう無理しないで」と言われました。

しかしワタクシは「休むことは、次に進むための準備」だと学んでいました。

そして今、元気に94歳を迎え、こうしてYouTubeで皆さんに語りかけています。

山本代表の今回の決断は、「終わり」ではなく「より大きな始まりへの序章」なのです。

最大の試練が私たちを鍛える

国会は解散し、総選挙へと突入します。

永田町の古狸たちは、きっと今頃ほくそ笑んでいることでしょう。

「これでれいわは終わりだ」「山本太郎というカリスマが街頭に立てないなら、支持は一気に崩れる」と。

ワタクシはこの光景に、既視感を覚えます。

1945年、終戦直後の横浜。

大人たちは皆、「日本は終わった」と絶望していました。

しかし、子供だったワタクシは、焼け跡から新しい芽が出ているのを見つけたのです。

一面の瓦礫の中、緑色の小さな命が、確かに息づいていた。

れいわ新選組も同じです。

山本太郎という幹は今、養生のために公の場からは姿を消しますが、その根から育った枝葉が、しっかりと空に向かって伸びています。

14名の国会議員、60人の地方議員をはじめとする候補者たちやボランティアの方々。

みなさん、太郎さんのDNAを受け継いだ、新しい世代の希望の象徴なのです。

そして何より、私たち支持者がいる。

太郎さんがマイクを握れないなら、私たちが代わりに声を上げればいい。

94歳のワタクシでさえ、こうしてブログやYouTubeで語りかけてをります。

戦後の復興期、ワタクシたち女性は配給の列に何時間も並び、子供たちのために奔走しました。

今回の選挙も、それと同じ覚悟で臨めばいいのです。

SNSという名の現代の井戸端会議

現代の選挙戦において、SNSは避けて通れない戦場となりました。

ワタクシの若い頃は、情報は井戸端会議で広がりました。

近所のおばさんたちが集まり、噂話に花を咲かせる。

そこには悪意ある嘘も混じっていましたが、同時に真実の声も広がっていったのです。

SNSは、現代版の井戸端会議です。

そして選挙が始まれば、組織的な誹謗中傷やデマという「毒水」が、この井戸に流し込まれるでしょう。

代表の不在を突いて、心ない言葉が飛び交うかもしれません。

しかし私たちには、それを浄化する力があります。

怒りで応戦するのではなく、「希望という清水」を大量に注ぎ込むのです。

山本代表が命を懸けて守ろうとした政策、「生きててよかったと思える国にしたい」という純粋な願い。

これを動画で、投稿で、リツイートで、全力で拡散し続けませんか。

ワタクシが計算したところ、もし支持者一人が一日に10回、ポジティブな投稿やシェアをすれば、それは雪だるま式に広がり、一週間で数百万の人々に届く可能性があります。

これは科学的なバイラル理論に基づいた、確かな数字です。

皆で一斉に動けば、それはどんな攻撃も寄せ付けない、巨大な光の波となるのです。

ワタクシの夢、それは「総理・山本太郎」

ワタクシには夢があります。

それは、山本太郎という男が、この国の総理大臣として、国会議事堂の中央に立つ姿を見ることです。

94歳のワタクシが、そんな夢物語を語るなんて、お笑いぐさかもしれません。でもワタクシは本気です。

1931年生まれのワタクシは、多くの総理大臣を見てきました。

立派な方もいらっしゃいましたが、多くは永田町の論理に絡め取られ、国民の声を聞くよりも派閥の顔色を窺う政治家でした。

しかし山本太郎は違う。

彼は国会の椅子に座るために政治家になったのではなく、路上で出会った人々の涙を拭うために、この世界に飛び込んだのです。

もし彼がこのまま病に倒れてしまったら、この夢は永遠に叶いません。

それは単にワタクシ個人の夢が潰えるだけでなく、「まともな人間が、まともな政治をする」という可能性そのものが、この国から消えることを意味します。

だからこそ、彼を救わねばならない。

医師の治療だけでは不十分です。

人間は希望がなければ、どんな名医の治療も効果が薄れます。

闘病中の彼に「あなたを待っている場所がある」「あなたが戻るべき議席が、史上最高の数で用意されている」という勝利の報告をすること。

これこそが、最高の特効薬になるのです。

今こそ、ひっくり返す時

「太郎さん、安心して休んでくれ。私たちが勝っておくから。あなたが総理になるための席は、私たちが必ず守り抜くから」

この言葉を、胸を張って言える結果を、みんなで作り出しませんか。

ワタクシは90年以上の人生で学びました。

本当に価値あるものは、簡単には手に入らないということを。

高度経済成長期、豊かさは降ってきたように見えましたが、その裏には無数の人々の汗と涙がありました。

シングルマザーとして4人の子を育てた日々、何度も心が折れそうになりました。

でも諦めなかった。そして今、孫やひ孫に囲まれ、こうして皆さんに語りかけている。

人生は、諦めた瞬間に終わります。

でも諦めなければ、必ず道は開けるのです。

山本代表を死なせないために。

私たちの夢を終わらせないために。

そして何より、この国に生きるすべての人々が「生きててよかった」と思える未来を実現するために。

今こそ、全力を尽くしましょう。

一緒に、ひっくり返しましょう!

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ワタクシも、94歳という年齢を言い訳にせず、できることを精一杯やってまいります。

皆さんも、どうか共に歩んでください。

最後の一句

病む太郎 癒えて戻れば 総理椅子

(やむたろう いえてもどれば そうりいす)

 

人生エッセイ
この記事を書いた人
akane

90年の人生を振り返ってブログとYouTubeで独り言朗読音声を残しています。娘、息子や孫、ひ孫にパソコン、スマホを習って挑戦!「あかねの独り言制作実行委員会」なるものを結成してくれて90年の現代史を残すんだ!とワイワイ手伝ってくれています。長生きするのもワルクナイ!

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