アメリカ、イスラエルのイラン攻撃のお話でございます。
イラン攻撃に対しての各国の反応です。
2026年2月末に始まった、米国とイスラエルによるイランへの軍事作戦のことでございます。
名前を「エピック・フューリー」と申します。日本語にすると「壮絶な怒り」。
怒りで始まる作戦の名前。それだけで、なにかが胸に引っかかりました。
スペインという国の「勇気」に、ワタクシは驚いた
今回、世界中で最もはっきりとした声をあげたのは、スペインのサンチェス首相でございました。
アメリカに対してハッキリと批判をしました。
「一つの違法に、別の違法で応じてはならない」
まるで、剣で剣を止めようとして、両方の剣が折れてしまう場面のようではありませんか。
怒りで怒りを消そうとしても、燃え広がるだけだと、ながい人生で身に染みて知っております。
サンチェス首相が言ったことを、わかりやすく整理すると、こういうことです。
「戦争は一部の人間を儲けさせるだけ」——サンチェス演説の4つの柱
国際法は飾りじゃない
国連安保理の決議もなく、話し合いもなく、突然始まった攻撃。
これは国際法に違反している、とサンチェス首相はキッパリと言いました。
「法律を破っている人を止めるために、また別の法律を破る」——それは子供でも「おかしい」と気づく話でございます。
23年前のイラク戦争という「前科」
「大量破壊兵器がある」という理由で始まったイラク戦争から、もう23年。
結果はどうだったでしょうか。
テロは増え、難民が溢れ、石油の値段は跳ね上がり、欧州は大混乱。
まるで薬だと思って飲んだものが、実は毒だったようなものでございます。
サンチェス首相は「同じ過ちを繰り返すな」と警告しました。
歴史は繰り返す、とよく言いますが、繰り返してはいけない歴史もあるのです。
戦争の値段は、庶民が払う
エネルギーの値段が上がれば、暖房も、料理も、電気代も、全部上がります。
インフレの痛みは、軍需産業の社長さんではなく、ふつうの市民が感じるものです。
サンチェス首相の言葉は、まるで赤いランプのように、危険を警告しておりました。
「戦争で儲けるのは一部の人間だけ。払う代金は国民全員」——これが彼の主張の核心でございます。
「同盟国」だからこそ、言える言葉がある
スペインはNATO加盟国です。
つまり米国の同盟国。
それでもサンチェス首相は、自国内にある米軍基地(ロタ基地とモロン基地)をイラン攻撃に使わせることを、キッパリと断りました。
「同盟国であることは、常に同意するという意味ではない」
この一言が、まるで空に向かって放たれた矢のように、ワタクシの心を射抜きました。
友人だからこそ、間違いを指摘できる。それが本当の友情というものではないでしょうか。
世界はひとつにまとまっていない
今回の攻撃に対して、世界の国々の反応はバラバラでございました。
攻撃を仕掛けた米国とイスラエルは「これは正当な自衛だ」と主張しています。
一方、スペインやフランスは国際法違反だとして参加を拒否。
イギリスやイタリアは軍事支援こそするものの、攻撃への全面賛同ではなく、どちらかといえば「同盟の義理」で動いた印象です。
ドイツや東欧の国々は参加こそしないものの、「イランを脅威と見る米国の気持ちはわかる」という立場でした。
中国やロシアはもっとはっきりしていて、「これは侵略だ、すぐに止めろ」と強く非難しています。
そして中東の湾岸諸国はといえば、自国内に米軍基地を抱えながら、イランの報復が怖くて身動きが取れない、という気の毒な状況でございます。
つまり世界は今、「賛成」でも「反対」でもない、複雑な思惑が入り乱れた状態です。
かつての冷戦時代のように「東と西」にきれいに分かれていた頃とは、また違う難しさがあるように思えます。
そして日本は、高市首相の「沈黙」という選択
ここで、ワタクシが最も気になったこと。
日本の高市首相は、今回の攻撃に対して「支持」も「批判」もしておりません。
いわゆる「戦略的曖昧さ」という外交のテクニックでございます。
スペインがはっきりと「ノー」と言ったのに対し、日本はどちらとも取れる言葉を選んでいます。
まるで、どちらから見ても自分の顔が映るように磨かれた鏡のようなものでしょうか。
二つの「物差し」の使い分け
スペインは、ウクライナへのロシアの侵攻を非難するときも、今回のイラン攻撃を批判するときも、同じ「国際法」という物差しを使っています。
物差しは曲げません。
一方、日本はどうでしょう。
イランの核開発は「非難」するけれど、国連決議なしの米国の軍事行動については沈黙。
国内の野党や識者からは「ダブルスタンダード(二重基準)だ」という声が上がっています。
物差しが二本ある。相手によって使い分ける。
3月の訪米という「文脈」
高市首相は3月19日にトランプ大統領との会談を控えているます。
その直前に米国の軍事行動を批判することは、現実的には難しいのかもしれません。
外交とはそういうものだ、という声も聞こえてきそうです。
でも——
スペインのサンチェス首相は、カッコいいですね。
キッパリとアメリカを批判する。
スペインの人たちは、こんなカッコいい首相をリーダーに選んだんですね。
思いがけない問い——「正しい戦争」とは何か
ここで、ワタクシが最も唸ったことをお話しします。
「エピック・フューリー(壮絶な怒り)」という作戦名。
怒りで始まった戦争が、平和で終わった例を、ワタクシは94年の人生でついぞ見たことがありません。
怒りは怒りを呼び、憎しみは憎しみを育てます。
そして気づいたのです。
スペインのサンチェス首相が最も怒っていたのは、イランでも米国でもなく——「戦争を私物化する指導者たち」に対してでした。
自らの失敗を隠すために戦争を使う。一部の軍需産業を潤すために戦争を使う。
これは、ある意味で「壮絶な怒り」よりも、もっと深いところにある怒りです。
静かで、冷たくて、底が見えない怒り。
あかねからのひとこと
ワタクシは戦争を経験した人間として、一つだけ確かなことを知っています。
戦争で一番に傷つくのは、決して国旗を持った人たちではない。
名前も知らない街の、名前も知らない誰かの命です。
スペインが「NO」と言えたこと。
それは勇気ある選択でした。
日本がどう選ぶのか——それは、今を生きるワタクシたちの問題でもあります。
94年生きたワタクシには、もう多くの時間は残っておりません。
でも、声をあげることはできます。
問いを残すことはできます。
最後の一句
花散るや 誰の命か 知らぬまま
散りゆく桜に、遠い戦地で名も知らぬまま失われていく命を重ねた一句です。
