桜の季節も過ぎ、新緑が美しい季節になりましたね。
窓辺で朝のお茶を飲みながら、外の若葉を眺めていると、昭和21年の春を思い出します。
あの頃の私は15歳。焼け野原の中で、新しい憲法に希望を見出していました。
あれから約80年という長い歳月が流れました。
この国は本当に大きく変わりました。
私が少女だった戦後すぐの頃は、食べ物もろくになく、家族みんなで芋のツルまで食べて飢えをしのいでいました。
配給の米は少なく、母はいつも「今日はどうやって家族を食べさせようか」と眉間にしわを寄せていたものです。
そんな貧しく苦しい時代から、日本は見事に立ち上がりました。
焼け野原からの復興、高度経済成長期の活気、バブル経済とその崩壊、そして阪神淡路大震災や東日本大震災といった自然災害…。
本当に多くの困難や変化を、この国は乗り越えてきたのです。
その間も、私たちの憲法は変わることなく、この国の平和を見守り続けてきました。
78年間、一度も戦争をしなかった。これは世界でも稀なことです。
けれども今、世界を見渡すと、心が重くなります。
ウクライナやガザ、世界各地で戦争や紛争が続いています。
テレビで爆撃の映像を見るたび、私は、昭和20年の空襲を思い出し、胸が苦しくなるのです。
爆弾の音、逃げ惑う人々の叫び声、焼け跡の匂い…。
あの恐怖は、決して忘れることはできません。
今、なぜ憲法を変えようという声が上がるのか
そんな中、日本国内では私たちが希望を見出した憲法、特にその心臓部である九条について、改正を求める議論があります。
改憲を求める方々の主張も、私なりに理解しようと努めています。
確かに、今の世界情勢は複雑で厳しいものがあります。
周辺諸国のミサイル問題、軍事力拡大、テロの脅威…。
「平和ボケした憲法では、この国を守れない」という声も聞こえてきます。
自衛隊の皆さんが災害救助で活躍される姿を見るたび、私も頭が下がります。
東日本大震災の時も、豪雨災害の時も、本当によく働いてくださいました。
そんな自衛隊を憲法に明記すべきだという意見があることも承知しています。
一方で、護憲派と呼ばれる方々は、「九条こそが日本の平和の基盤だ」「軍事力ではなく、外交や国際協力で平和を築くべきだ」と主張されています。
自衛隊の明記が、集団的自衛権の拡大につながり、恒久平和主義が危険にさらされるのではないかという心配の声も上がっています。
どちらの意見にも、この国を思う気持ちがあることは分かります。
でも私は、戦争を実際に体験した者として、どうしても皆さんにお伝えしたいことがあるのです。
15歳の私が見た憲法九条の希望
昭和21年、憲法草案が発表された時のことを、私は今でもはっきりと覚えています。
ラジオから流れてきた「戦争を放棄する」という言葉に、家族みんなが耳を澄ませました。
父は戦地から帰ってきたばかりで、まだ痩せこけていました。
兄は学徒動員で工場に駆り出され、勉強どころではありませんでした。
母は毎日、近所の誰かの戦死の知らせに涙していました。
そんな私たちにとって、憲法九条は希望の光でした。
「もう二度と、あんな思いはしなくていいんだ」
「息子や孫を戦場に送らなくていいんだ」
「平和に暮らせるんだ」
あの条文は、単なる法律の文章ではありませんでした。
それは私たち国民が、戦争の惨禍を二度と繰り返したくないという切実な願いを込めて、世界に向けて発した平和の宣言だったのです。
「日本国民が平和を求めていると世界に宣言した証」—私にとって憲法九条は、まさにそういう存在でした。
世界に先駆けて平和国家を宣言した、本当に貴重なものだと思っています。
どのような過程であっても、この憲法は守らなければいけない
憲法制定の経緯について、様々な議論があることは承知しています。
「アメリカに押し付けられた」という声も聞きます。
でも私は思うのです。どのような過程で制定されたとしても、この憲法は守らなければいけない、と。
なぜなら、この憲法は78年間という長い歳月をかけて、私たちの社会にしっかりと根を張ってきたからです。
戦後の復興期、高度成長期、そして現代に至るまで、この憲法とともに私たちは平和を築いてきました。
それは単なる法律の条文ではありません。
戦争の惨禍を知る私たち世代の「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにする」という固い決意、
そして「二度と戦争はしない」という魂の底からの平和への願いが込められた、未来への「約束」であり、「生きる希望の証」なのです。
戦争体験者がどんどん少なくなっている今、私たちのような高齢者が次の世代に伝えなければならないことが、本当にたくさんあります。
戦争がどれほど悲惨で無意味なものか、平和がどれほど尊いものか—それを肌で知っている私たちの証言こそが、
現代の憲法論議における世代間のギャップを埋める大切な架け橋になると信じています。
憲法が私たちを守ってくれるもの
日本国憲法は、単に国の仕組みを決めた法律ではありません。
それは「国家がやるべきこととやってはいけないことを定め、国民を守る」という立憲主義の大切な原理を形にしたものです。
国家権力を制限するための「立憲主義の砦」として、私たちを守ってくれているのです。
基本的人権の尊重や法の下の平等といった条項は、国による勝手な権力の行使を防ぐ大事な歯止めになっています。
憲法97条には「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」と書かれています。
これらの権利は、歴史上の多くの人々が血と汗を流して勝ち取った、かけがえのない宝物なのです。
憲法は、時代や社会が変わっても決して揺るがない「個人の尊厳」「基本的人権の保障」「平和の希求」という普遍的な価値を守るための土台です。
それは「私たち自身のルール」であり、私たち一人ひとりの生活と尊厳を守る盾なのです。
夕方、買い物に出かけた帰り道、公園で遊ぶ子どもたちの声を聞いていると、つくづく思います。
この子たちが大人になった時も、同じように平和な日常を送れるように、私たちは憲法の精神をしっかりと守り抜かなければならない、と。
平和な国を未来に引き継ぐために
現代の国際情勢が不安定になっている今だからこそ、憲法を守ることは、戦後日本が78年かけて築き上げてきた平和、民主主義、そして一人ひとりの尊厳を守ることにつながります。
戦争体験者として、そして一人の国民として、私は平和の尊さを伝えていくことが自分の役目だと思っています。
現代の安全保障環境への課題に対しても、憲法の根底にある理念に立ち返り、
どのようにすれば一人ひとりの自由や権利、平和な暮らしを未来に引き継げるか、そのために憲法がどんな役割を果たすべきかを、
国民全体でじっくりと丁寧に議論していくことが何よりも大切だと思うのです。
先日、小学生のひ孫と話をしている時に「あかねおばあちゃん、憲法って難しそうで分からない」と言ってきました。
私は答えました。
「難しく考えることはないのよ。憲法は、あなたたちが安心して勉強できて、友達と遊べて、将来の夢を描けるように、そんな平和な毎日を守ってくれるものなの。」
「おばあちゃんたちがあなたたちの年頃に戦争で苦しんだから、もう二度とそんな思いをさせたくなくて作った、愛情のこもった約束なのよ」
その子は「そうなんだ」と、少し分かったような顔をしてくれました。
憲法の精神を次の世代にしっかり伝え、みんなで議論し続けることこそ、平和な国を守り続けていくための揺るぎない基盤となるでしょう。
桜が散った後に青々とした若葉が芽吹くように、私たちの平和への願いも、次の世代、そのまた次の世代へと受け継がれていくことを、心から願っています。
今日も最後まで読んでくださって、ありがとうございました。