はじまりの混沌―26年の連立が砕け散った朝
四半世紀以上、日本の政治を支えてきた自民党と公明党の連立政権が、まさに崩壊したのです。
その瞬間、日本の政治は深い霧の中に迷い込みました。
自民党の新総裁・高市早苗さんが首相になる道は、突如として暗闇に閉ざされてしまったのです。
公明党の斎藤鉄夫代表が放った言葉は、まるで冷たい刃のようでした。
「連立政権は一旦白紙」「総理指名で高市氏と書くことはできない」―――この明確な拒絶は、長年の婚姻関係を一方的に解消するような、冷徹な決断でした。
戦後の混乱期、高度成長期の政争、バブル崩壊後の連立政権の誕生―――あらゆる政治の季節を見てきましたが、今回の事態は何か違う。
この混沌の中から、前代未聞の、いや、禁断とも言える一つのシナリオが浮かび上がってきたのです。
ワタクシの妄想ですので、よろしくお願いたします。
石破茂という政治家が持つ最後の切り札
退陣を表明した石破茂首相。
でも、彼は、2025年10月15日現在、日本国の内閣総理大臣です。
この方が手にしている「切り札」があります。
それは日本国憲法第7条に定められた「衆議院解散権」という、首相だけが握る強力な武器です。
ワタクシに言わせれば、この解散権というのは、将棋でいえば「盤面ごとひっくり返す」ようなものなのです。
普通の駒を動かすのとは訳が違う。国民という「審判」に、すべてを委ねる覚悟が必要な、まさに劇薬です。
憲法の条文を見れば、天皇陛下の国事行為として「衆議院を解散すること」が書かれています。
でもこれは「内閣の助言と承認」に基づくもの。
つまり、実質的には首相が決定する権限なのです。
だからこそ「首相の専権事項」と呼ばれ、最も強力な政治的武器と位置づけられているのですね。
この解散権を使えば、議会内の力関係がどんなに行き詰まっていても、すべてをリセットできる。
新たな民意を背景に、政治を動かすことができるのです。
前代未聞の3ステップ―禁断のシナリオ
さて、ここからがワタクシが皆さんにお伝えしたい「仮説」です。
あくまで仮説ですよ。「あかねの独り言」ならぬ「あかねの妄想」です。
でも、憲法と法律の仕組みを見れば、理論上は「可能」なのです。
第一の一手:電撃解散と離党
石破首相が、突然に衆議院を解散する。
それも電撃的に。
弱体化した自民党に準備の時間を与えず、混乱の渦中で総選挙に突入させるのです。
そして―――ここからが驚きですが―――石破氏自身が自民党を離党する。
94年の人生で、ワタクシは多くの政治家の離党劇を見てきました。
でも、現職の首相が解散直後に自分の党を離れるなんて、聞いたことがありません。
これは憲政史上、前例がないのです。
でも、法律や制度を見れば、これを「禁止」している条文はない。
つまり、理論上は可能なのです。
もちろん、実現のハードルは富士山よりも高い。
でも、不可能ではないのです。
第二の一手:敵味方の再定義
離党した石破氏は、自民党の中にいる「護憲派」「平和外交を大切にする保守系議員」たちを集めます。
同時に、立憲民主党の中にも似た考えの人たちがいるはずです。
そして、れいわ新選組、日本共産党、社民党といった、これまで「敵」とされてきた政党とも手を組む。
「反自民・非改憲」という大きな旗のもとに、一大連合を作るのです。
ワタクシが若い頃、満州事変が起きた年に生まれましたが、あの時代の「大政翼賛会」とは真逆の、多様な意見を持つ人々が集まる連合です。
目的は一つ―――26年続いた自公政権という枠組みを打ち破ること。
第三の一手:総選挙での勝利
解散総選挙の後、国会で首相指名選挙が行われます。
憲法第67条に基づき、衆議院と参議院がそれぞれ首相を選ぶのです。
もし、石破氏が率いる新連合が衆議院で多数派を取れば、首相指名選挙で過半数の支持を得られる。
一回目で過半数に届かなくても、上位2名による決選投票があります。
そして最終的には、衆議院の議決が参議院より優先されるのです。
つまり、衆院の多数派を握ることができれば、石破茂氏は再び首相の座に返り咲くことができる
―――このシナリオは、まるで推理小説の謎解きのように、一つ一つのピースが法律の上でぴたりとはまるのです。
野党という厳しい門番たち
でも、このシナリオには大きな関門があります。
それは、野党の協力を得られるかどうか、です。
特に、れいわ新選組の山本太郎代表と日本共産党の田村智子委員長は、簡単には首を縦に振りません。
この方々は、単なる「反高市」という数合わせには乗らない、筋金入りの政治家です。
山本太郎代表は、こう言っています。
「私たちの政策の何をどこまで進めるかというバーターがなきゃ乗れない」―――実に明快です。
彼は「高市政権阻止」という目的だけでの野党共闘を「騙されちゃいけない」と厳しく批判しているのです。
田村智子委員長も同じです。
「自民党政治を終わらせる」―――この一点を貫くと明言しています。
共産党は長年、公明党が「自民党と共に悪政を遂行してきた」と批判してきました。
新たに手を組む相手が、これまでどんな政治姿勢だったかを、鋭い目で見定めるはずです。
まるで、厳しい門番が二人、石破氏の前に立ちはだかっているようなものです。
巨大連合を繋ぐ金色の糸―消費税廃止
では、この厳しい門番たちの心を開く「鍵」は何でしょうか。
それが、れいわ新選組が掲げる「消費税廃止」という政策です。
消費税廃止―――この言葉を聞いただけで、多くの国民の目が輝くでしょう。
平均的な家庭で、年間約30万円使えるお金が増えるのです。
30万円ですよ!
これは、家族で温泉旅行に行けて、少し贅沢な食事もできて、子どもに新しい自転車を買ってあげられる金額です。
でもこの政策は、単なる減税ではありません。
これは、30年続く不況、失われた30年という暗いトンネルから抜け出すための、明るい出口の光なのです。
山本太郎氏の主張を整理すると、こうなります。
まず、消費税を廃止すれば個人消費が増える。
人々がお金を使えば、企業の売上が増え、給料が上がり、さらに消費が増える―――この好循環が生まれます。
「でも財源はどうするの?」という疑問が湧きますよね。
ワタクシも最初はそう思いました。
山本氏の答えは明快です。「国債発行で賄う」―――つまり、国が借金をするのです。
でも、この借金は悪いものではない、と彼は言います。
日本は自国通貨で国債を発行できるので、破綻するリスクはない。
そして経済が成長すれば税収も増え、それが新たな財源になる、というのです。
この論理が正しいかどうか、ワタクシには完全には判断できません。
でも、一つ確かなことがあります。
それは、この「消費税廃止」という旗印が、様々な政治勢力を一つに繋ぐ「金色の糸」になり得るということです。
自公政権が30年間続けてきた経済政策を完全否定し、国民生活を最優先にする―――この理念は、護憲派の保守からリベラルまで、幅広い層を結集させる力を持っているのです。
石破茂氏の説得工作
しかし、石破氏の本当の思想や腹のうちを精力的に語って説得すれば人間わからないものです。
そして、山本太郎氏も田村智子氏も石破氏の考えを変えるくらいの説得を短期間に行うのです。
その輪の中に、志位和夫氏や最後の使命で不破哲三氏も加わり石破氏への「ご説明」を徹底的にしてもらえないでしょうか。
26年という時間の重み
ここで、ワタクシは26年という数字について考えてみたいのです。
自民党と公明党の連立政権は、26年続きました。
26年前、1999年といえば、ワタクシは68歳でした。
まだまだ元気に一人暮らしを楽しんでいた頃です。
その26年間で、日本はどう変わったでしょうか。
経済は停滞し続け、若い人たちの給料は上がらず、非正規雇用が増え、少子化は進み、国の借金は膨らみ続けました。
一方で、大企業の内部留保は過去最高を更新し、株価は上がっても庶民の生活は楽になりませんでした。
26年という時間は、人間の一生の中で決して短くありません。
赤ちゃんとして生まれた子が、立派な社会人になる時間です。
その間ずっと、同じ政権の枠組みが続いてきたのです。
公明党が「連立は白紙」と言ったのは、この26年の積み重ねが、もう限界に達したということではないでしょうか。
まるで、長年住んできた家の土台が腐って、もう住めなくなったようなものです。
94才が見た政治の風景
ワタクシは、昭和6年、1931年生まれです。満州事変が起きた年に、この世に生を受けました。
幼い頃は戦争の時代でした。
女学校時代は日中戦争と太平洋戦争の真っただ中。
愛国教育を受け、学徒動員で工場で働きました。
食べるものもなく、毎日が生きるための戦いでした。
終戦後は、長女として家族を支えるため、休む暇もなく働きました。
日本が焼け野原から立ち上がる姿を、この目で見てきました。
高度経済成長期には、生活が本当に豊かになるのを実感しました。
冷蔵庫が来た時の喜び、テレビが映った時の感動、家族で初めて外食に行った時の幸せ―――今でも鮮明に覚えています。
1970年代にはシングルマザーとなり、4人の子供を連れて静岡へ移りました。
オイルショックという大変な時期でしたが、子供たちのために必死で働きました。
その後、熱海で一人暮らしを楽しみ、80代後半で名古屋の息子のところへ。
今は孫やひ孫に囲まれて、インターネットなんていう便利なものも使いながら、穏やかに過ごしています。
こうして振り返ると、ワタクシの人生は日本の近代史そのものなのです。
そして今、94歳になって目の当たりにしているのが、この前代未聞の政治の混乱です。
戦後の混乱期、55年体制の確立、冷戦の終結、バブル崩壊、政権交代―――様々な政治の節目を見てきましたが、今回の事態は何か違う予感がします。
それは、本当に何かが「変わる」かもしれない、という予感です。
歴史に名を刻む覚悟
本文で展開してきた「石破首相の続投シナリオ」は、憲法と法律に則ったものです。
理論上は可能な道筋なのです。
でも、実現のハードルは想像を絶するほど高い。現職首相が解散直後に自分の党を離れ、
敵対勢力と手を組んで政権に返り咲く―――こんな筋書きは、前例がありません。
政治家としての信念、党への忠誠心、支持者への責任、そして何より、失敗した時のリスク。
すべてを天秤にかけて、それでもなお「やる」と決断できる政治家がいるでしょうか。
でも、もし―――もしですよ―――この大博打に成功したならば。
石破茂という政治家は、ただの一人の首相として歴史の一ページに載るのではありません。
26年続いた自公連立という巨大な枠組みを内側から打ち破り、日本の政治に全く新しい風景を作り出した、
「歴史的転換点の主役」として、その名を永遠に刻むことになるでしょう。
それは、日本の有権者にとっても重大な選択です。
数十年続いてきた自民党主導の政策路線と、まだ誰も経験したことのない新しいビジョン―――どちらを選ぶのか。
ワタクシが生まれた1931年、日本は大きな転換点にいました。
そして今、2025年の日本も、また大きな転換点に立っているのかもしれません。
94年の人生で学んだことがあります。
それは、「変化」は必ずしも悪いものではない、ということです。
時には、古い枠組みを壊さなければ、新しい未来は開けないこともあるのです。
この禁断のシナリオまず不可能でしょう。
でも、こういう「可能性」について考えること自体が、民主主義の大切な営みだと思うのです。
90年以上生きてきて、まだこんなにドキドキする政治の風景を見られるなんて。
長生きするのも、ワルクナイものですね。
最後の一句
政変や 老いてなお見る 歴史の芽
解説:94歳になっても、まだ歴史が大きく動く瞬間を目撃できる―――この一句には、長寿の喜びと、時代の転換点に立ち会う緊張感を込めました。「歴史の芽」とは、まだ誰も見たことのない新しい政治の風景が、今まさに芽吹こうとしている瞬間を表しています。