はじめまして:90年の歩みを振り返って

人生エッセイ

こんにちは、皆さま。昭和6年(1931年)生まれの あかね と申します。

このたび、90年の人生を振り返りながら、私の体験や思い出をブログという形で残していくことにしました。

長い人生の中で経験したことが、どなたかの心に響いたり、お役に立てたりするならば、これほど嬉しいことはございません。

横浜での幼少期:昭和初期の思い出

横浜の下町で9人兄弟姉妹の長女として育ちました。

上には兄が一人、下には弟や妹たちがいて、家の中はいつも賑やかでした。

今思えば、私が生まれた昭和6年は満州事変が起きた年で、日本が国際協調路線から離れ、アジアでの拡張政策を本格化させる大きな転換点だったのですね。

幼い頃の横浜は、まだ古き良き日本の風景が残っていました。

畳の部屋や床の間がある家で、伝統的な生活様式を送っていました。

近所の人たちとの繋がりも深く、子供たちは皆で日が暮れるまで鬼ごっこやお手玉、メンコなどをして遊びました。

女の子だった私は、幼い頃から弟妹の世話や水汲み、掃除などの家事を手伝うのが当たり前でした。

家族の中での役割が明確で、皆がそれぞれの責任を果たしていました。

戦時下の青春:学徒動員と食糧難

女学校に進学したのは、日中戦争がすでに始まっていた頃です。

学校では国語や算数といった基礎科目に加え、愛国心や軍事精神を育む教育が重視されるようになっていました。

毎朝、東京の皇居に向かって「宮城遥拝」をするのが日課でした。

勉強はそこそこに、といったところでしょうか。

それでも、当時の女学生は皆、国のために何かできることはないかと真剣に考えていました。

やがて太平洋戦争が始まると、私たちも学徒動員で工場へ働きに行くようになりました。

工場では、朝から晩まで機械の音に囲まれ、ひたすら作業を続けました。

決して楽ではありませんでしたが、仲間と一緒に働くことで不思議と力が湧いてきたのを覚えています。

食糧難の時代には、少しでも食料を手に入れるために、母の着物などを持って農村部へ物々交換に行ったこともありました。

米は貴重で、麦や芋を混ぜて食べることが多く、おやつは滅多になく、サツマイモがご馳走でした。

都市部は特に食料不足が深刻で、私たち家族も配給に頼る日々でした。

戦後の再建:長女としての責任

終戦を迎えた時、私はまだ10代でした。

戦後の混乱期、長女だった私は幼い弟や妹たちのために働きづめでした。

食べるものが少ない時代でしたが、家族皆で助け合い、なんとか乗り越えてきました。

子供たちの笑顔が、何よりの励みだったのです。

1951年、サンフランシスコ平和条約が調印され、戦後復興が進んでいきました。

社会全体が少しずつ明るさを取り戻す中、私も自分の人生を切り開いていくことになります。

結婚と家庭:高度経済成長期を生きる

戦後しばらくして結婚、4人の子供に恵まれました。

1950年代後半から1970年代にかけての高度経済成長期、日本経済は驚異的な発展を遂げていきました。

私たち家庭も、その波に乗って少しずつ豊かになっていきました。

仕事と子育てに追われる毎日でしたが、充実した日々でした。洗濯機や冷蔵庫など、「三種の神器」と呼ばれた家電製品が我が家にもやってきた時の喜びは、今でも鮮明に覚えています。

子供たちと一緒に東京オリンピック(1964年)や大阪万博(1970年)の様子をテレビで見て、日本の発展を実感したものです。

シングルマザーとしての挑戦:試練の日々

しかし、人生には様々な出来事が待ち受けています。

1970年代の中ごろ、私は離婚を経験し、4人の子供を連れて静岡へ移り住むことになりました。

第一次オイルショックの影響で日本経済が混乱していた時期、シングルマザーとして家族を支えるのは並大抵のことではありませんでした。

それでも、子供たちの成長が私の何よりの支えでした。

夜遅くまで働き、時には体力的にも精神的にも限界を感じることもありましたが、「明日はきっと良くなる」と信じて前に進んできました。

穏やかな晩年:熱海での日々そして息子のいる名古屋へ

子供たちがそれぞれ独立してからは、静岡県熱海市に移り住み、今はのんびりと穏やかな日々を送っていまました。

温泉付きのマンションを娘が見つけてきてくれて、子供たちの援助もありそこで一人暮らしを始めました。

毎日温泉には入れて、元気いっぱいの日々でした。

温泉は美肌効果もあり、のんびりできました。

その後、80代後半には、まだまだげんきなんですが、息子の住んでいる名古屋へ引っ越しました。

孫やひ孫が近くにいる方がいいだろうということでそうしました。

古いんですが安い賃貸の団地の空が出たのでそこに決めました。

一人暮らしにはちょうどいい環境です。

バブル経済の興亡、平成から令和への時代の変化、そして今や、私のような90歳のおばあさんでもインターネットでブログを書く時代になりました。

振り返れば、私の人生は日本の現代史そのものです。

満州事変から太平洋戦争、高度経済成長、バブル崩壊、そして自然災害など、多くの困難や変化を経験してきました。

それでも、家族の絆や人々の温かさに支えられ、ここまで生きてこられたことに感謝しています。

このブログを通して、私の人生の記録が、皆様の何かのお役に立てれば幸いです。

温かい目で読んでいただけると嬉しいです。

人生エッセイ
この記事を書いた人
Akane

あかね90才。昭和初期生まれ。日本人女性。戦前戦後を生き抜く。高度成長で頑張り、子供たちは成長して、みな還暦過ぎ。最近パソコンやスマホを初めてもう楽しい。音声で文字が書けるので、パソコンやスマホといっぱいおしゃべりして、言いたいことバンバン書けます。長生きするのもワルクナイ!

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