みなさん、こんにちは。あかねです。
今年の衆議院選挙、まるで、遠い昭和の日々が、音もなく忍び寄ってくるような、そんな不穏な気配を感じるのです。
戦後80年という大きな節目を越えた今、ワタクシたちは重大な分岐点に立っています。
それはまるで、霧の立ち込める峠道で、どちらに進むべきか問われているような、
片方は平和への道、もう片方は、かつて歩いた破滅への「いつか来た道」。
あの時代の空気が、また――
「15年戦争」という名の、醜い真実
1931年、ワタクシが生まれたその年に満州事変が起きました。
昭和6年、横浜の下町で産声をあげたワタクシの人生は、まさに戦争と共に始まったのです。
戦前、あの戦争を「資源確保のため」とか「アジア解放のため」という、もっともらしい理屈で理解しようとしていました。
そして、盛んに言われだした「大東亜共栄圏」。
日本を中心とした東アジア・東南アジアの経済・政治ブロック構想です。
1940年7月、第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で「大東亜新秩序」を宣言し、欧米列強の植民地支配からのアジア解放を掲げました。
「八紘一宇」(はっこういちう)の精神のもと、日本・満州国・中国(汪兆銘政権)を中核に、
共存共栄の経済圏を目指すとされ、軍需資源(石油・ゴム・錫など)の確保が実質目的でした。
1940年の初期のころは、 日本・満州・中国でした。
1941から43年頃は、東南アジア(蘭印・仏印・マレー・ビルマ・タイ)、フィリピン、オセアニアまでひろがりました。
そのころ、黒板に大きくアジアの地図を先生が描いて、日本の勢力が広がっていると、力強く教えられたものです。
表向きはアジア諸民族の解放を謳いましたが、実態は日本の軍事支配と資源収奪で、占領地での強制労働や経済搾取が横行しました。
南進政策(対米英開戦)の正当化に利用され、戦後には帝国主義のプロパガンダとして批判されています。
「アジア解放」という大義の嘘っぱち。
斎藤隆夫という勇気
1940年、昭和15年のことです。衆議院本会議で、斎藤隆夫という議員が立ち上がりました。
当時、日本中が「聖戦だ!」「鬼畜米英だ!」と熱狂の渦に巻き込まれていました。
その熱い、熱い空気の中で、斎藤さんはたった一人、冷たい水を差したのです。
「この戦争に大義はあるのか」「犠牲ばかりが増えて、何を得るというのか」と。
山本七平という評論家が後に分析したように、斎藤さんの演説は、熱狂という名の「沸騰したお湯」に、論理という「氷水」を注ぎ込む行為でした。
次の書籍で紹介されています。
でも、議会は彼を除名してしまった。ブレーキを踏もうとした人を、自分たちの手で車から放り出してしまったのです。
ワタクシ、あの時まだ9歳でしたが、大人たちの異様な熱気を覚えています。
誰もが「おかしい」と思っても、口に出せない。出せば「非国民」と呼ばれる。
空気という名の、目に見えない独裁者が、日本を支配していたのです。
メディアが煽る、人工的な熱狂
1920年代、ワタクシが生まれる前、新聞は軍縮を支持していました。平和を説いていたのです。
でも、満州事変が起きると、メディアは豹変しました。
「戦争記事は売れる」という、浅ましい商業主義から、ナショナリズムを煽り立てたのです。
まるで、視聴率のためなら何でもする、今のワイドショーのように。
新聞の号外が出るたび、人々は群がり、奪い合いました。
戦況を報じる記事は、まるで娯楽小説のように脚色され、国民を酔わせました。
人工的に作られた熱狂―それがメディアによって増幅され、日本中を覆い尽くしたのです。
今はどうでしょう。
複雑な現実を「攻められたらどうする」「強い日本」「敵と味方」という単純な色分けに塗り替え、
組織的に動員された声を「国民の声」と錯覚させる。
同じ構図が、また繰り返されているのです。
日本会議の研究
『日本会議の研究』 (扶桑社新書)菅野 完(すがの たもつ)著に詳しく書いてあるお話です。
日本武道館を埋め尽くす「偽りの声」
安倍政権のとき、ワタクシは驚きました。
閣僚の約8割が「日本会議国会議員懇談会」という組織に所属していたのです。
8割ですよ!まるで、一つの思想で塗り固められた内閣。
これは民主主義というより、何か別の形です。
日本会議――聞き慣れない名前かもしれませんが、これは神社本庁はじめ、
神道、仏教系の本来は教義の異なる宗教団体が「束」になってできた組織です。
一つ一つの教団は小さくても、束ねれば巨大な力になる。
まるで、細い竹を束ねて強い矢にするように。
そして彼らは、全国から信者をバスで動員して、日本武道館を埋め尽くす「改憲1万人大会」を開くのです。
政治家たちは、この光景を見て「これが国民の声だ」と言います。
でも、それは作られた絵なのです。演出された熱狂なのです。
彼らを束ねる、たった一つの「合意」
- 皇室中心: 皇室を尊重し、国民の精神的支柱とする
- 憲法改正: 新しい時代にふさわしい「新憲法」を制定する。
- 愛国教育: 国の名誉と国民の命を守る政治と、日本の感性を育む教育の創造
- 靖国神社参拝: 国の安全と世界への平和貢献(英霊の顕彰)
- 伝統的家族観: 共生共栄の心でむすぶ世界との友好(家族の絆の重視)
この目的のために、教義も違う、信じる神様も違う宗教団体が、なぜ一つになれるのか。
その答えは、驚くほど単純で、驚くほど時代錯誤です。
『日本会議の研究』によると、それは、「女子供は黙ってろ」という、強固な家父長制への執着。
選択的夫婦別姓への反対、ジェンダー平等への攻撃、子供の権利の否定。
すべては、女性や子供を「伝統的な家族」という檻の中に閉じ込め、男性が支配する秩序を取り戻そうとする動きです。
彼らにとって、リベラリズムとは「敵と共に生きる」という面倒な手続き。
それを破壊して、自分たちの「正しい」秩序を押し通すこと、これが真の目的なのです。
憲法9条の改憲も、この復古的な国家秩序を取り戻すための、象徴的な儀式に過ぎません。
ワタクシ、昭和初期の「良妻賢母」教育を受けた世代です。
「女は家にいるもの」「男に従うもの」と叩き込まれました。
でも、戦後、憲法が変わり、ワタクシたちは初めて人間として認められたのです。
あの解放感を、もう一度失うなんて、そういう考えをもつ議員集団が
日本の政治を動かしている、ワタクシには耐えられません。
平和憲法は「再発防止策」そのもの
ポツダム宣言という契約書
1945年8月、日本はポツダム宣言を受け入れました。
その宣言には、こう書かれています――日本国民は「無分別な軍国主義」を永久に除去しなければならない、と。
憲法9条は、この要求に応えて生まれました。
それは、日本が国際社会へ復帰するための契約書だったのです。
「二度と戦争はしません」という、世界への誓約。
9条を壊そうとする動きは、この戦後の国際秩序そのものへの反逆です。
まるで、更生を誓った人が、また同じ過ちを繰り返そうとするように。
「死者の投票」を思え
ワタクシの同級生の多くは、戦争で亡くなりました。
女学校の友人たちは、空襲で、病気で、飢えで、次々と消えていきました。
ワタクシの住んでいた横浜は、大空襲で、街は焼け野原になりました。
その時の様子は、以前、ブログや動画でお話させて頂きました。
学徒動員で工廠からの帰りに横浜大空襲にあいました。
逃げて逃げて奇跡的に生き残ったワタクシの目に入ったのは、黒焦げになった人々の塊が折り重なった光景でした。
今、彼らには投票権はありません。
でも、ワタクシには聞こえるのです。彼らの声が。
「戦争は絶対だめだ」
「戦争は、時のバカな支配者が勝手に始めたものだ」
「二度と繰り返すな」
歴史とは、今を生きる者だけの特権ではありません。
「死者の投票」に思いを起こしてください。
数多の犠牲者たちが、命を賭して遺した教訓を、ワタクシたちは裏切ってはならないのです。
今、ワタクシたちは、生きて、投票ができるのです。
あなたの一票が、未来を決める
2026年の衆議院選挙。
これは、単なる政権選択ではありません。
これは、かつて日本を破滅させた軍部を再びコクピットに招き入れるのか、
それとも拒絶するのかを問う、事実上の「歴史の審判」なのです。
ワタクシたちの一票一票が、平和憲法を守る政治家を選び、国家のハンドルを正しい人に握らせる、
それこそが、真の「再発防止策」の完結なのです。
94年生きてきて、ワタクシが学んだこと。
それは、平和は空気のように当たり前のものではないということ。
それは、たゆまぬ努力で、一票一票で、守り抜かなければならないものなのです。
戦後80年を経た今、ワタクシたちは、過去の犠牲者と未来の子供たちに対して、責任を負っています。
その責任を果たすために――どうか、投票に行ってください。
平和憲法を守り抜いてください。
それが、ワタクシからの、心からのお願いです。
【最後の一句】
「焦げた友 無念晴らすは この一票」
友の無念を晴らすのは、今を生きるワタクシたちの一票だという強い意志を表現しました。
