こんにちは、あかねです。
朝の光が窓辺に差し込む中、今日もまたこうしてパソコンの前に座っています。
気がつけば、私はもう90年以上も生きてきました。
指折り数えてみると、もうすぐ94歳になるのですね。
時の流れの早さに、自分でも驚いてしまいます。
戦前、戦中、戦後という激動の時代を生き抜いてきた、この世代だからこそ語れることがたくさんあるはずだと考え、このブログを始めました。
最初は孫に「ブログって何?」と聞いたものです。今
では、こうして皆さんとお話しできることが、私の何よりの楽しみになっています。
今は、私の子供たちや孫、そしてひ孫たちのこれからの未来を考えることが多くなりました。
ひ孫の澄んだ瞳を見ていると、この子たちが生きていく世界が、どうか平和でありますようにと、心の底から願わずにはいられません。
戦争の現実を語り継ぐということ
残念ながら、現在の世界を見渡すと戦争がまだ続いています。
テレビのニュースで流れる映像を見るたび、胸が締め付けられるような思いがします。
戦争の悲惨さを経験した世代として、平和の尊さを次の世代に伝えていくことが、私の役目だと、改めて強く感じています。
戦後80年が経ち、戦争を直接知らない世代が増えました。
それは素晴らしいことです。
平和だからこそ、戦争を知らずに済んでいるのですから。
でも同時に、実際に戦争が起こると何が起きるのかを、体験者として具体的に伝えていくことが、どれほど大切かということも痛感しています。
私が15歳で終戦を迎えた時のことを、今でも鮮明に覚えています。
あの日の夏の暑さ、蝉の声、そして玉音放送が流れた時の不思議な静寂。
街はB29の空襲で焼け野原になり、黒焦げになった人々の塊が幾重にも重なる光景を目にしました。
思い出すのは辛いことですが、これだけは伝えなければなりません。
食べるものも、着るものも、何もかもが足りませんでした。
お腹が空いて眠れない夜が続きました。
食料を手に入れるために、母の大切にしていた着物を風呂敷に包んで、遠くまで物々交換に行ったこともありました。
母は「これで少しでもお米が手に入れば」と言いながら、涙をこらえていました。
政府からの配給に長い列を作って並んだ日々も、昨日のことのように思い出されます。
焼け跡に立った時の絶望感は、今でも胸の奥に残っています。
空襲の翌朝、家があった場所には瓦礫の山しかありませんでした。
隣のおばさんは、焼け跡で家族の写真を一枚だけ見つけて、それを胸に抱いて泣いていました。
あんな「何の落ち度もない人々が、なにゆえに無残に消えていかなければならなかったのか」という疑問は、今も私の心の中にあります。
近所の田中さんという優しいおじいさんは、孫を背負って逃げる途中で亡くなりました。
商店街で野菜を売っていた山田のおばさんも、空襲で命を落としました。
みんな、ただ普通に生きていただけなのに。
私はもうあんな戦争は二度とこりごりです。
若い世代の皆さんには、私の体験談を通して、「あんな戦争を体験したいとは思わない」と感じてほしい。
それが平和を願う出発点になると思うのです。
世代を超えた対話の大切さ
現在の日本国内では、憲法改正を巡る様々な意見があります。
特に安全保障環境の変化を理由に九条改正を求める声も活発になっています。
こうした憲法論議には、戦争を経験した世代と知らない世代との間にギャップがあるとも指摘されています。
でも、このギャップがあるからこそ、私たちは対話を続けなければならないのです。
お互いの立場を理解し合おうとする努力が必要なのです。
ここで重要になるのが、私のような戦争体験者の証言です。
憲法制定時の希望や、戦争の惨禍を二度と繰り返さないという強い意志、平和への切実な願いがこの憲法に込められていることを伝えることは、
この世代間ギャップを埋める貴重な架け橋になると信じています。
新しい憲法が発表された時、私たち若者は希望に満ち溢れていました。
「戦争を放棄する」という条文を読んだ時の感動は、今でも忘れることができません。
友達と一緒に「これで平和な国になるのね」と語り合ったあの日の夕焼けの美しさも、記憶の中に鮮やかに残っています。
憲法は「生きた文書」であり、時代とともに解釈や運用は変化していくものだと言われます。
確かにそうでしょう。
でも、その根底にある平和への願いという普遍的な価値は、いかなる時代においても守られるべきです。
憲法を守るとは、過去の教訓を未来へとつなぐ不断の努力であり、各世代がその時代の課題に応じて憲法の精神を丁寧に再解釈していく営みなのです。
93歳からの新しい挑戦
私は93歳になった今、インターネットでブログを書くという新たな挑戦を始めました。
孫に教わりながらパソコンやスマホを操作するのは、最初は本当に大変でした。
間違えてアプリを削除してしまったり、知らない人に電話をかけてしまったりと、ハプニングの連続でした。
孫は笑いながら「おばあちゃん、そこは長押しじゃなくて、軽くタップするんだよ」と教えてくれます。
「長押しって何?タップって何?」と聞き返す私に、孫は根気よく付き合ってくれました。
でも、自分の思いを言葉にしてこうして皆さんに届けることができるのは、新鮮な喜びです。
YouTubeで昔の歌を聞いたり、オンラインで世界中の美術館を見学したり、新しい技術に触れる日々を楽しんでいます。
パリのルーブル美術館を画面越しに見た時は、まるで本当にそこにいるような気持ちになりました。
93歳になった今、人生の新しいスタートラインに立ったような気持ちでいます。
毎日が発見の連続で、昨日知らなかったことを今日知ることができる。
この年になっても、まだまだ学ぶことがたくさんあるのです。
だからこそ、若い方々に伝えたいのは、「失敗を恐れずに新しいことに挑戦してほしい」ということ。
私のような93歳のおばあちゃんでも新しい発見をして、日々を楽しんでいます。
年齢に関係なく、学ぶことの喜びは尽きないのです。
そして、同世代の皆さんには「できないと思い込まずに、まずは試してみる勇気を持ってほしい」と伝えたいです。
最初はうまくいかなくても、諦めずに続けていれば、きっと新しい世界が開けてきます。
平和な未来への願いを込めて
私が15歳で新しい憲法に出会った時、「これからの日本は平和でよい国になっていく」という希望の光を感じました。
戦争で何もかも失った私たちにとって、その希望の光がどれほど貴重だったか、言葉では表現しきれません。
夜空に輝く星を見上げながら、「もう空襲警報を聞かなくて済むのね」と思った時の安堵感。
朝、鳥のさえずりで目を覚ました時の平穏な気持ち。
そうした小さな日常の積み重ねが、どれほど尊いものかを実感しました。
その希望は、戦後日本の原点として私の中にずっとあります。
その希望の光が、このブログを読んでくださっている未来の子どもたちにも届くことを心から願っています。
私は、憲法に込められた平和への願いが、これからもずっと日本に根付いていくことを願っています。
これからも、皆さんと共に、平和な国を守り続けていきたいと思います。
このブログを通して、私の人生の様々な出来事や、ささやかな喜びや発見、そして平和への願いを皆さんと共有できたら、こんなに嬉しいことはありません。
おわりに
今、世界が不安定な時代だからこそ、憲法に込められた平和への願いに立ち返ることが大切です。
憲法を守ることは、単に条文を維持するだけでなく、過去の教訓を未来へとつなぐ不断の努力であり、
戦後日本が築いてきた平和、民主主義、そして一人ひとりの尊厭という社会的価値全体を継承する行為なのです。
そして、その中でも特に重要なのは、私たちが経験した戦争の現実を語り継ぎ、平和の尊さを伝えていくことです。
これこそが、憲法の平和理念を未来に引き継ぐ鍵だと信じています。
夕暮れ時、ひ孫が学校から帰ってきて「おばあちゃん、今日も面白い話を聞かせて」と言ってくれます。
そのキラキラした瞳を見ていると、この子たちの未来が明るいものでありますようにと、心から祈らずにはいられません。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
これからも、共に平和な未来を築いていくため、考え、語り合い、そして小さなことから行動を続けていきましょう。
一人ひとりの小さな願いが集まって、大きな平和の力になることを信じています。