あかねのフェルメール紀行:画面越しに出会った光の魔術師

絵画

こんにちは、あかねです。

90を過ぎたこの年になって、まさか自分がパソコンの画面越しに世界中の美術館を旅して回ることになるとは思いもしませんでした。

息子に「お母さん、インターネットで色んな美術館が見られるよ」と教えてもらったのがきっかけでした。

最初は半信半疑でしたが、画面に映る美しい絵画の数々を見て、まるで魔法にかかったような気持ちになったのです。

特に心を奪われたのが、フェルメールという17世紀オランダの画家の作品でした。

横浜で育った私は、幼い頃から近所の洋館を眺めて「西洋のお家はどんな暮らしをしているのだろう」と想像していましたが、まさにその答えがフェルメールの絵の中にあったのです。

静寂の中で見つけた人生の宝物

フェルメールの絵を初めて見た時、私の心は一瞬で350年前のオランダへと飛んでいきました。

そこには、手紙を読む女性や牛乳を注ぐ女中さんが描かれていて、特別な出来事ではない、ごく当たり前の日常の一瞬が切り取られていました。

これを見て、私は戦後の静岡での日々を思い出しました。

4人の子供を一人で育てていた頃、朝早く起きて洗濯物を干し、夕飯の支度をしながら子供たちの帰りを待つ。

そんな何気ない毎日が、実はとても愛おしい時間だったのだと、フェルメールの絵が教えてくれたのです。

「日常の中にこそ、本当の幸せがあるのね」

私は画面を見つめながら、そっとつぶやきました。

長い人生を振り返ると、特別な出来事よりも、家族と過ごした何気ない瞬間の方が、今でも心の中で輝いて見えるのです。

光に包まれた孤独の美しさ

手紙を読む青衣の女(1663頃)

フェルメールの作品で特に印象的なのは、一人静かに何かに向き合う女性たちの姿です。

手紙を読む人、楽器を奏でる人、窓辺で物思いにふける人。

彼女たちの表情には、孤独でありながらも、内面の豊かさが宿っているように感じられます。

これを見て、私は熱海で一人暮らしをしていた頃のことを思い出しました。

子供たちが独立して、初めて迎えた静寂の日々。

最初は寂しくて仕方がありませんでしたが、だんだんと一人の時間の尊さを知るようになりました。

朝のコーヒーを飲みながら海を眺める時間、夕暮れ時に庭の花に水をやる時間。

そんな静かな瞬間にこそ、自分と向き合う大切さがあったのです。

フェルメールは、孤独を悲しいものとして描くのではなく、内省の時間として、自分を見つめ直す大切な時間として描いているのですね。

90年の人生を歩んできた今だからこそ、その深い意味がよく分かります。

『真珠の耳飾りの少女』との対話

フェルメール真珠の耳飾りの少女(1665頃)1

そして何より、私の心を強く揺さぶったのが『真珠の耳飾りの少女』でした。

パソコンの画面に映るその少女の瞳を見つめていると、まるで時空を超えて私と対話しているような気持ちになります。

「あなたは誰なの?」と問いかけると、少女は微笑みかけているようにも、何かを訴えかけているようにも見えます。

眉毛がないことや、あの大きな真珠の謎についても調べてみましたが、答えが分からないからこそ、想像が膨らんで楽しいのです。

私には、あの少女が言葉を持たない分、すべての女性の想いを代弁しているように感じられます。

戦争を生き抜いた女性として、子供を育て上げた母親として、そして一人の人間として歩んできた私の人生と、どこかで重なる部分があるような気がするのです。

光の魔術に魅せられて

手紙を書く女(1665頃)

手紙を書く女(1665頃)

フェルメールが「光の魔術師」と呼ばれる理由も、作品を見ているうちによく分かりました。

窓から差し込む柔らかな光が、まるで本物のように画面の中で輝いているのです。

私が横浜の実家で過ごした昭和初期の朝、障子越しに入る光の美しさを思い出します。

また、戦後の静岡で、夕暮れ時に台所の窓から入る光に包まれながら夕飯の支度をしていた時のことも。

光は時代を超えて、人の心を温めてくれるものなのですね。

フェルメールの青い色彩も格別です。

ラピスラズリという貴重な顔料で描かれたという深い青は、まるで宝石のように美しく、見ているだけで心が洗われるような気持ちになります。

インターネットが開いてくれた新しい世界

絵画芸術の称賛(1666-1668頃)

絵画芸術の称賛(1666-1668頃)

90年という長い人生を歩んできましたが、まさかこの年になって新しい芸術の世界に出会えるとは思いませんでした。

パソコンの操作はまだ慣れませんが、息子や孫に教えてもらいながら、少しずつ世界中の美術館を訪れています。

アムステルダムの国立美術館、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドンのナショナル・ギャラリー。

体は名古屋にいながら、心は世界中を旅しているのです。

これも現代の素晴らしい技術のおかげですね。

フェルメールの作品を通して、私は改めて人生の美しさを発見しました。

華やかな出来事ではない、静かな日常の中にこそ、本当の豊かさがあること。

一人の時間も、誰かとの時間も、それぞれに大切な意味があること。

そして何より、年齢に関係なく、新しいことを学び、感動することの喜びを味わえることを教えてもらいました。

これからも、パソコンの画面越しに世界中の美術館を訪れて、たくさんの作品と出会っていきたいと思います。

そして、それぞれの作品から感じたことを、こうしてブログに残していけたらと思っています。

長い人生を歩んできた私だからこそ感じられる、アートの魅力があるのかもしれません。

若い方々にも、時間をかけてゆっくりと絵画と向き合う時間を持っていただけたらと思います。

きっと、新しい発見があることでしょう。

それでは、また次回のブログでお会いしましょう。

絵画
この記事を書いた人
Akane

あかね93才。昭和初期生まれ。日本人女性。戦前戦後を生き抜く。高度成長で頑張り、子供たちは成長して、みな還暦過ぎ。最近パソコンやスマホを初めてもう楽しい。音声で文字が書けるので、パソコンやスマホといっぱいおしゃべりして、言いたいことバンバン書けます。息子や孫たちが「あかねの独り言制作実行委員会」なるものを結成してくれて、「90年の現代史を残すんだ!っと」ワイワイと手伝ってくれています。長生きするのもワルクナイ!

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