「抑止」の罠:なぜ日本は再び過ちを繰り返すのか? 戦前の教訓と現政権への警鐘

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現在の日本で、「抑止力」の強化を名目とした軍備拡大の議論が活発化しています。

しかし、その言葉が孕む危険性を、私たちは本当に理解しているでしょうか。

かつて、太平洋戦争という悲劇がありました。

歴史は繰り返すのか?

圧倒的な国力差にもかかわらず、戦前の日本はなぜアメリカとの開戦に踏み切ったのか。

それは一連の致命的な判断ミスと、状況の誤認識が招いた悲劇でした。

今回は、その歴史的過ちを分析し、現代の日本が直面する危機と照らし合わせて考えたいと思います。

問うべきは、現政権が進める政策の是非だけではありません。

ワタクシは、戦前の指導者たちが陥った「希望的観測」と「権力構造の欠陥」という同じ罠に、再び足を踏み入れようとしているのではないかと危惧しています。

「抑止」という概念の誤解が、再び国家を破滅的な道へと導く危険性を、歴史の教訓から明らかにして、本当の抑止とは何かを考えていたいと思います。

膨大な国力差を無視した開戦 ― 戦前日本の致命的判断

太平洋戦争への道は、日本の指導者たちによる「抑止」の完全な失敗例でした。

それは単なる軍事的な誤算ではなく、客観的な分析を欠いた希望的観測と、異論を封殺する統治機構の欠陥が国家を破滅へと導いた、構造的な失敗だったのです。

「抑止」の失敗:希望的観測と情報軽視

対米開戦の決定は、まさに軍事的抑止が機能しなかった典型例です。

アメリカによる石油禁輸措置によって追い詰められた日本の指導部は、「アメリカは長期戦を戦う意思に欠ける」という根拠なき希望的観測にすがり、短期決戦で勝利を得られるという無謀な賭けに出ました。

当時の陸軍省戦争経済研究班、通称「秋丸機関」では、「抗戦力判断資料」などを作成していました。

1941年7月に報告書を提出、日本は開戦後、2年間は抗戦可能だが、米英との長期戦は厳しいと結論づけしていました。

アメリカと戦えば非常に高い確率で敗戦を迎えるという報告なんです。

しかし、日本の中枢は、対米開戦に向います。

戦前の正式なこの意思決定プロセスの中核にあったのが御前会議です。

対米戦を決定づけるまでに計4回(1941年7月2日、9月6日、11月5日、12月1日)開かれた会議では、一度決まった方針への異論は許されず、開戦という既定路線への合意形成を目的とする儀式と化していました。

それは、独ソの戦況が短期間のうちにドイツ勝利を迎え、日本が東南アジアを占領して資源を確保し、米英が交戦意欲を低下すれば、日本に有利な講和を引き出せると踏んでいます。

これは、国家の重要方針を議論・決定する場でありましたが、その実態は開かれた議論の場ではありませんでした。

陸上自衛隊元陸将・福山隆氏の『抑止ー基本なのに理解されていない考え』によれば、

これは、国家の意思決定システムが客観的評価よりも組織内融和を優先した「手続き上の失敗」であり、

この統治機構の欠陥こそが、日本を破局へと突き進ませた根本原因であったとあります。

その他の参考文献は、下記のものになります。

井上寿一(2017)『戦争調査会―幻の政府文書を読み解く』講談社現代新書

牧野邦昭(2018)『経済学者たちの日米開戦―秋丸機関「幻の報告書」の謎を解く』新潮選書

 

石油禁輸と「ハル・ノート」という引き金

日本の意思決定に決定的影響を与えたのが、アメリカによる石油の全面禁輸措置でした。

これは、日独伊三国同盟の締結(1940年9月)や仏印進駐(ふついんしんちゅう)といった日本の膨張政策に対するアメリカの明確な対抗措置でした。

国家の生命線である石油を絶たれた日本は外交交渉の道を模索しましたが、それも「ハル・ノート」によって事実上断たれています。

1941年11月26日に提示されたこの文書は、中国からの全面撤兵などを要求するものであり、日本の指導者たちには最後通牒と受け止められました。

これにより、彼らは交渉の道は完全に閉ざされたと判断し、軍事的解決以外の選択肢はないという結論に達したのです。

以下の外務省の資料など参考にしました。

「ハル・ノート」受領から開戦(PDF)

https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/pdfs/nichibei2_05.pdf

 

 

暴走した軍部:不都合な真実から目を背けた指導者たち

開戦を主導したのは、国内の政治的圧力と硬直した思考に囚われた軍部でした。

彼らは、日米の圧倒的な国力差という不都合な真実から目を背け、自らの能力を極端に過大評価していたのではないでしょうか。

この現実からの乖離は、海軍自身のデータによって最も明確に示されています。

最も重要となる1944年(昭和19年)において、海軍は新造艦船を20万7000トン建造できると計画していたが、実際に建造できたのはわずか7万トンでした。

さらに深刻なのは、敵の攻撃による沈没量を6万トンと予測していたのに対し、実際の損害は実に41万トンという破滅的な数字に達したことです。

これは単なる楽観主義ではございません。

戦争を遂行するための客観的評価能力を完全に失い、開戦という目的のために現実を歪めていた指導者たちの姿を浮き彫りにしている思わざるを得ません。

この部分の参考資料です。

防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書 戦艦大和の建造とその後日譚』『海軍軍備局史料』

戦史叢書シリーズ一覧
防衛研究所は、我が国最大の戦史史料を保有する機関として、同史料の管理及び公開等を実施しています。戦史研究センター史料室は、明治期以来の旧陸海軍の公文書類等を所蔵しています。

小野塚一郎『計画造船』

15年戦争の悲劇を拡大させた要因

ワタクシが生まれて、戦争が終わるまで、満年齢で14才(数えで15才)なるまで、ずっと戦争でした。

その当時には、まったく知らされないで、わからなったことばかりでしたが、今、言わせて頂きます。

先の大戦、15年にわたる戦争の原因、およびその悲劇を拡大させた要因として考えられることを述べます。

天皇制の戦争国家体質の存在

第一には、天皇制の戦争国家体質の存在です。

天皇絶対の旗を掲げて、軍部がどのようなことであっても実行できる戦争国家でありました。

国家の決定や命令に対して国民は無条件で服従することが義務付けられていました。

これに反抗する者には死刑を含む重罪をもって脅しつける体制だったんです。

国民の天皇への忠誠心と戦意高揚を目的として、毎朝、皇居に向かって「宮城遥拝(きゅうじょうようはい)」というお辞儀をしておりました。

ワタクシも「お国のために」働くこと、生きていくことを何も疑っておりませんでした。

軍部の無責任な作戦遂行姿勢

二つ目には、今まで述べてきたような軍部の無責任な作戦遂行姿勢です。

ワタクシが体験したような大空襲が、本土各地にあり、多くの人が無念の死を遂げました。

また、戦争動員された兵隊さん達の運命も同じです。

天皇制国家の軍部指導層の無責任さを指摘しないわけにはいきません。

歴史学者の藤原彰氏『餓死した英霊たち』によると

アジア・太平洋の戦場で日本軍が出した200数十万の戦没者の大部分は戦って死んだのではないとしています。

全戦没者の60%以上の140万人前後が、戦病死者だったと試算しています。

さらに「そのほとんどが餓死者ということになる」と結論づけています。

なんと餓死したというのです。

理由はこうです。

食糧補給の手立ても講じないまま、何万、何十万もの軍隊を平気で前線に送り出した結果であると述べています。

自国の軍隊の人命をこれほどまでに軽視し、無惨に扱った戦争は、世界史にも前例がないと指摘しています。

まともな「作戦」とはいえません。

国体護持への固執による終戦の遅れ

連合国側の対日方針では、カイロ宣言1943年11月、ポツダム宣言は1945年7月などです。

「領土の不拡大」「民族自決」などの内容を含んだ1941年の大西洋憲章についても日本の指導者は知っているはずです。

戦争末期、天皇制国家の指導者たちが、連合国側の対日方針に反発し、国民的な大惨劇を引き起こしました。

国体護持のために平和交渉をしなかったことが、大戦の被害を深めた最大の要因だと考えます。

敗戦を迎えた1945年には、もはや戦争遂行に活路がないことは誰の目にも明らかでした。

あの1945年5月29日にワタクシも体験した横浜大空襲については前回、詳しくお伝えいたしました。

あれだけの本土空襲を体験すると、「お国のために」という気持ちも、皆、何かおかしいと思い始めていました

いや、もっと前から、何か違うと考えていました。でも、それを口に出せなかったんです。

天皇制国家の指導者たちは、戦争末期でも国体をそのままの形で存続させる保証がないとして、連合国の対日方針を拒否しました。

もしあの時、和平交渉に踏み切っていれば、もっと早くに決断をしていれば、本土大空襲、沖縄戦、広島への原爆投下、ソ連の参戦による満州・樺太の悲劇はなかったはずです。

これだけの大惨事を実行して引き起こしたアメリカ軍の責任は重大です。

アメリカ軍は、平和交渉などする考えはサラサラなく、大量の弾薬と原爆の消費だけを計画していたのでしょう。

「連合国の対日方針」は「平和交渉」ではありませんでした。

しかし、戦争末期に指導者が決断していれば、まだチャンスはあったと思います。

国体護持を国民の命よりも優先させ、戦局好転の見通しも計画もないのに「本土決戦」「一億玉砕」を叫び続けた天皇制国家の指導者たちこそが、

1945年の国民的な大惨劇を引き起こした張本人であると言わせてもらいます。

つまり、天皇制国家という戦争国家の体質、軍部による人命軽視と無謀な作戦遂行、

そして指導者層が国体護持のために終戦を遅らせたことが、

先の大戦(15年にわたる戦争)の原因と悲劇を拡大させた主要な要因であったと考えます。

現代日本の危機:強権化する政権と「抑止力」という言葉の危うさ

戦前の悲劇は単なる軍事的誤算ではなく、異論を排し客観的現実を無視した「統治の失敗」でした。

この構造的欠陥にこそ、我々は現代日本の政治状況への警鐘を見出さなければならないと考えます。

今の日本政治の在り方は、明治憲法下の統治システムとは根本的に異なるものの、

権力が一人に集中し、国民の総意から乖離した意思決定が行われうるという「機能的類似性」は、看過できない危険な兆候だと考えています。

国民の総意なき「独裁者」憲法が許す首相の強大な権力

日本の憲法上、内閣総理大臣は国民の直接選挙ではなく、国会で多数を占める政党によって指名されます。

これは、今の小選挙区制とう選挙制度によって、民意の反映した総理大臣を選ぶことができないという民主主義の落とし穴になっています。

民意の反映を追究するのであれば、全国一律比例代表制が一番です。

度重なる選挙制度の変更から小選挙区制が誕生し、一握りの組織票で国民のリーダーが誕生してしまいます。

現状は、たとえ政党支持率が低い「少数第一党」であっても、国会で多数派を形成することが可能で、

国民全体の総意を必ずしも反映しないリーダーを選出できることを意味しています。

現在の高市内閣がこれにあたります。多くの死票のうえに立っている内閣です。

問題は、このリーダーが三権(立法・行政・司法)にまたがる強大な権力を手中に収める点にあります。

首相は行政府の長として行政権を掌握し、与党を通じて立法府(国会)を事実上主導します。

さらに、最高裁判所長官の指名権を通じて司法府にも影響を及ぼしています。

これは、三権の力が首相一人に集中する実質的に「独裁」と見なされうる危険性を孕んでいると危惧します。

現在の自民党とそれを補完する勢力が多数を占めて、さらに議員定数の削減やスパイ防止法のたくらみ、

軍事予算の大幅増などの動き、憲法改正の動きなどをみるとき、戦前のあの悪夢を思い出さざるおえません。

「軍事的抑止」の名の下に進む軍拡路線の危険性

国民の総意を完全に反映しているとは言えない指導者が、これほど強大な権力を持つことの危険性は、安全保障政策において最も先鋭化しています。

現政権が「抑止力」の名の下で進める軍備拡大路線は、戦前の日本が陥った思考の罠と構造的に酷似しています。

今日の重要な問いは、我々の現代的な政治構造が、新たな形の「御前会議」、つまり、権力者に不都合な情報を遮断し、異論を封殺するエコーチェンバーを生み出していないか、ということです。

絶大な権力を持つ首相が、もし「抑止」という概念を軍事力一辺倒で解釈し、それに反するインテリジェンスや外交的選択肢を軽視するならばどうなるでしょうか。

それは、戦前の指導部がハル・ノートを前に交渉を断念し、客観的データを無視して破滅的な戦争に突き進んだ歴史の、恐るべき再現となりかねないのではと危惧します。

これは偶然の類似ではなく、権力集中がもたらす構造的リスクの再来なのです。

私たちが進むべき道:憲法9条を真の「抑止力」とする戦略

軍事力に依存した抑止が、権力者の誤算と統治システムの欠陥によって破滅をもたらしうることは述べました。

そして現代日本の政治構造がその過ちを繰り返すリスクを内包していることをみてきました。

ここから導き出されるワタクシの考えの帰結は、軍拡競争という罠から抜け出し、全く異なる安全保障の地平を目指すことであると考えます。

平和国家としての日本の決意

戦後の日本国民は、二度と戦争の惨禍を繰り返さないという固い決意のもと、平和国家として歩むことを選択しました。

この決意は、日本の戦後復興と国際社会への復帰の礎であり、日本の国是として今なお国際的な信頼の源泉となっています。

戦争に介入しない、させないための新たな安全保障戦略

私たちが進むべき道は、他国と同様の軍拡競争に追随することでございません。

むしろ、軍事力に偏重した抑止の罠そのものから脱却する、より高度な戦略的思考が求められます。

その核心は、日本国憲法第9条が象徴する「平和国家」としてのアイデンティティを、独自の強力な「抑止力」として能動的に活用する戦略です。

これは、武力によって相手の行動を「抑えつける」のではなく、日本の平和主義というユニークな立場を外交カードとし、

国際社会における信頼と尊敬をテコに、紛争の仲介者や調停者としての地位を確立する道です。

その目的は、日本が他国の戦争に「介入しない」、そして他国を日本の戦争に「介入させない」という、より高次元の安全保障体制を構築することにあります。

これこそが、軍事的誤算によって国を危機に陥らせるリスクそのものを抑止する、究極の安全保障です。

歴史は、軍事力のみに頼った「抑止」がいかに脆く、危険であるかを我々に教えています。

今こそ私たちは歴史の教訓に真摯に学び、目先の脅威に惑わされることなく、真の平和と安定を築くための、より賢明で持続可能な道を選択しなければいけません。

これからの日本政治に望むこと

ワタクシは、マルクスが描き、それが引き継がれた科学的社会主義の理想の社会に展望を持っています。

ワタクシの生きているうちには無理な話ですが、高度に発達した資本主義から社会主義、

共産主義への経済システムの移行が行われて、憲法9条の理念が徹底した日本国民の文化になればいいと考えています。

しかし、現状はそうはいきません。

戦争をしたいばかりの軍事産業の国際金融資本が、アメリカ、中国、ロシアという大国を動かし、

これに挟まれ絶妙な地政学的な位置にある日本は、現状では、自衛軍を持つのは必然だと考えます。

であればこそ、戦前のような国家の指導者の真似をするのではなく、平和国家日本としての、その在り方を問いたいと思います。

民意が反映させる比例代表制で選ばれた国会議員から、民意を反映した考えと政策を持った総理大臣が誕生して、内閣を組閣できれば、

その時こそ、自衛軍をいかに整えるかという軍事予算の議論を活発にするべきだと考えます。

今の、アメリカ言いなりの軍拡では到底、日本国民を守ることにはなりません。

日本国民をまた黒焦げにする大量兵器、弾薬の消費地、消費対象にされてしまいます。

日本国民を守るという点では、日本国民自身の国防意識についても、ワタクシの思いはございます。

骨抜きにされている日本人という視点です。

軍事産業のやりたい放題に気が付く日本人が増えなければいけません。

まだまだ、申し上げたいことはたくさんございますが、この点につきましては長くなりそうです。

また次の機会に独り言を申し上げます。

それでは最後の一句をさせて頂きます。

「九条こそ 日本が持つべき 抑止力」

お粗末様でした。

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この記事を書いた人
akane

90年の人生を振り返ってブログとYouTubeで独り言朗読音声を残しています。娘、息子や孫、ひ孫にパソコン、スマホを習って挑戦!「あかねの独り言制作実行委員会」なるものを結成してくれて90年の現代史を残すんだ!とワイワイ手伝ってくれています。長生きするのもワルクナイ!

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