凍てつく夜の始まりに:貴方の悲しみを抱きしめて
自民党が単独で300議席を超え、改憲勢力が3分の2を確保したという現実。
今、ご覧になっている貴方の心には、冷たい風が吹き荒れていることとお察しいたします。
ワタクシは昭和6年、満州事変が始まった年に生まれました。
94年の生涯で、戦争の狂気も、焼け野原からの復興も、この目で見てまいりました。
1951年のサンフランシスコ平和条約第一条で、連合国が「日本国民の完全な主権」を承認したあの瞬間、ワタクシは20歳。
それが建前であっても、ようやく手にした「主権」という言葉の重みに、震えるような希望を抱いたものです。
だからこそ、今の貴方が感じている「平和の灯火が消えかかるような痛み」が、我がことのように痛いほど分かるのです。
精緻に仕組まれた「熱狂」の正体
今回の結果を、単なる「民意」と片付けてはなりません。
これは、緻密に計算された「演出」の勝利だったのです。
高市氏という「初の女性首相」という看板を掲げ、SNSには自民党の広告費が1日2億から5億円規模という情報も流れていました。
でどころはわかりませんが、気の遠くなるような広告費が投じられたのは間違いないでしょう。
そこにあったのは政策の深い論争ではなく、徹底したポピュリズムによる「戦っているヒーロー」の演出でした。
例えば、台湾海峡危機に関して、歴代総理が慎重に避けてきた「存立危機事態」という言葉を、彼女はアドリブのように軽々と口にしました。
その勇ましさが、複雑な現実を直視したくない人々の目に「強いリーダー」として映ったのです。
ウォルター・リップマンがその著書『世論』で喝破したように、人は巨大で複雑すぎる現実をそのまま捉えることはできません。
そこで「労力の節約(経済性)」のために、頭の中に簡略化された「擬似環境」を作り、
そこに「ステレオタイプ」という色眼鏡をはめて反応します。
高市陣営は、このメカニズムを完璧に利用しました。
消費税減税を「祈願」だと言いながら、総裁としては「検討を加速する」と逃げる。
選挙戦では消費税についてはダンマリをきめる。
自分の中に複数の人格を演じ分け、本音を煙に巻く。
するのかもわからない食料品ゼロ%の財源ですが、選挙後に「消費税12%」への引き上げが画策されているという恐ろしい噂も消えません。
ワタクシには、この光景が既視感(デジャヴ)のように感じられてなりません。
昭和の初め、情報が握られ、国民が思考を止め、熱狂の中で戦争へと突き進んでいった「あの時来た道」と、今の状況があまりに似通っているからです。
心の処方箋:「失望」と「絶望」を分かつ知恵
では、私たちはこの深い闇の中でどう生きればよいのでしょうか。
ワタクシは今、二つの言葉を貴方に贈りたいと思います。
一つは、香港の民主化デモで若者たちが唱えた「失望しても絶望するな」という言葉です。
思い通りにならない現実に心を痛めるのが「失望」です。
しかし、心そのものを投げ出し、未来を信じられなくなるのが「絶望」です。
状況に失望することはあっても、貴方の尊い心まで相手に渡してはなりません。
リップマンが言うように、ステレオタイプは「自尊心の保障」や「自分たちの地位の防御」として機能します。
相手が用意した安易なイメージに飛びつくことは、自らの思考を差し出すことに他なりません。
もう一つは、五木寛之氏が説く「横超(おうちょう)」という知恵です。
正面からぶつかっても動かない巨大な壁に直面したとき、絶望して立ち止まるのではなく、一足跳びに「横へ廻る」。
真っ向勝負が無理ならば、しなやかに、柔軟に、別の道から光を探すのです。
圧倒的な数に絶望するのではなく、別の角度から草の根を広げていく。
今こそ、私たちはこの「横超」の精神で、戦い方を変えるべき時なのです。
『よりそう言葉』五木寛之著のなかに書いてありました。
振り子の法則と、剥がれゆくメッキ
高市内閣が掲げる「緊急事態条項」の創設は、かつてのドイツでナチスが議会を無力化し、戦争へと突入した歴史を彷彿とさせます。
また、防衛費をGDP比2%どころか、3.5%から5%へと引き上げるための増税。
トランプ氏との約束によって高額な兵器を買いわされる未来。
これから日本には、かつてない試練が訪れるでしょう。
しかし、政治には「振り子の法則」があります。
今回の57.2%という高い投票率は、高市氏への期待であると同時に、振り子が片側へ大きく振れきった証拠でもあります。
圧倒的な勝利こそが、実は自民党政治の崩壊を早める引き金になると考えます。
広告で作られた「戦うリーダー」というイメージのメッキは、
過酷な現実の政治の荒波――物価高、外交の行き詰まり、
国民の負担増――に揉まれれば、必ず剥がれ落ちていきます。
虚構の「擬似環境」が現実の痛みによって暴かれたとき、
振り子は必ず逆方向へと、より大きなエネルギーを持って振れ始めます。
私たちは、その「反動」が来るべき時を、冷静に見極めていなければなりません。
死者の眼差しと共に、再び「草の根」を広げる
ワタクシは今回の投票日、戦争で亡くなった友人たちの顔を思い浮かべながら、投票所へ向かいました。
彼らにはもう、一票を投じる権利はありません。
だからこそ、ワタクシたちの手にある一票には、語り得ぬ死者たちの「無念」と「怒り」が重く宿っているのです。
今日から、また始めましょう。
SNSでは「#ママ、ちょっと戦争を止めに行ってくるわ」というハッシュタグが広がっていたようです。
この「草の根」の胎動こそが希望です。
ワタクシたちは、自律的な人間であるよう努めなければなりません。
自分たちの価値観を押し付けるのではなく、地道に、泥臭く、隣人と繋がり直す。
小さな「草の根」を、日本中の土壌に、再び、静かに広げていくのです。
ワタクシも、94歳のこの命が続く限り、歩みを止めません。
1951年にサンフランシスコで誓った「主権」を、広告代理店の手に渡したままにはしておけません。
失望はしても、絶望はしない。
最後の一句
絶望を 横に跳び越え 根を張らん
