名古屋の自室、窓からのぞく今日の景色は、少し曇り空です。
それでも春らしく、梅が咲き、河津桜も少し花が開いてきました。
この柔らかな気持ちの良い空気のなかで、テレビから流れる国会中継を眺めておりましたら、あの息苦しい記憶が蘇ってくるのです。
ワタクシは昭和6年(1931年)生まれ。横浜の女学校時代、油にまみれて旋盤を回した学徒動員の記憶や、
空襲警報に追われながら見た真っ黒な空は、94年経った今もワタクシの肌にこびりついて離れません。
最近のニュースから漂う湿り気を帯びた空気感は、あの「戦時中」へと
なだれ込んでいった当時のひたひたという足音に、あまりにも似てはいないでしょうか。
そんな微かな震えを覚えながら、ワタクシは日本共産党・小池晃氏と、
れいわ新選組・奥田ふみよ氏の代表質問を見守りました。
「一億円の壁」の向こう側:小池晃氏が突いた歪み
日本共産党の小池晃書記局長が突きつけたのは、今の日本を覆う残酷なまでの格差でございました。
株価や大企業の利益が「過去最高という名の黄金色の頂」に輝く一方で、
ワタクシたち庶民の暮らしは「低賃金という名の深い谷底」に沈んだまま。
小池氏はこの対比を鋭く切り取りました。
特に「一億円の壁」というお話は、ワタクシのような昭和を生き抜いた者には看過できません。
かつての日本は、一段ずつ階段を登れば暮らしが良くなると信じられた時代でした。
しかし今は、所得が一億円を超えた途端、誰もが登るはずの階段がふっと消え、
富裕層だけが優遇される「見えない絶壁」に変わってしまう。
高市首相は富裕層課税を謳いながら、その対象を「所得6億円以上」に絞ると答えました。
小池氏が質問した通り、所得一億円超の方は3万8000人もいらっしゃるのに、
首相の言う6億円超はわずか2000人。全体の5%程度に過ぎません。
これでは壁を壊すどころか、ほんの一握りの特権を守るための
「盾」を作っているようなものではございませんか。
小池氏は、消費税減税こそが「枯れかけた草木のような中小企業や家計への恵みの雨」になると説かれました。
対して政府が掲げる「国民会議」は、雨を降らせるふりをして、実は増税という名のダムを建設するための「時間稼ぎ」に過ぎない。
その指摘は、老いたワタクシの耳にも誠実な警鐘として響きました。
カタログギフトと黄金の椅子:政治とカネの不条理
次にワタクシの心を凍らせたのは、高市首相が自民党議員315人にカタログギフトを配ったという問題です。
一人3万円、総額にして約1000万円。
カタログの「のし」に記された「高市早苗」の四文字を、首相は「法令上問題ない」と繰り返しました。
しかしワタクシには、それが国民の汗が染み込んだ「重みのある銀色のお金」
つまり血税が原資となった政党助成金が、形を変えたものに見えてなりませんでした。
そもそも政治資金規正法では、「政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない」とあります。
今日の赤旗1面の記事では、次の様に解説記事がありました。
高市氏は支部に入った政党助成金を「一切使用することはありません」とX(旧ツイッター)で釈明しています。同支部の収入源はパーティーを含めた企業・団体献金、税金が原資の政党助成金、個人献金です。このうち政党助成金は2020~24年までの5年間で計9820万円も受け取っています。同支部の活動は政党助成金なしにはなりたっていません。結果的に税金が原資の資金を使用していることになります。
2026年2月27日付赤旗
これは驚きです。政党助成金を高市氏の支部で5年間で1億円近く受け取っているというのです。
物価高でお米一升の値段に溜息をつく国民をよそに、一通のギフトで「子分づくり」に励むお姿。
ワタクシが覚えたのは怒りを超えた、深い悲しみと冷ややかな失望でございます。
政治資金を自分の「支部」という迂回路に通して配る手法。
自らの財布のように支部を使い、1000万円ものギフトを配る感覚は、庶民の切実な暮らしとはあまりに遠い銀河の出来事のようでございます。
武器よりお米を:奥田ふみよ氏の「母の叫び」
れいわ新選組の奥田ふみよ氏。
彼女の背景が「ピアノの先生であり、3人の子の母」であると聞き、
政治という冷たい鉄の戦場に咲いた「一輪の野花」を見るような心地がいたしました。
奥田氏が提示した数字は、歪んだ我が家の家計簿を見せられているようでした。
軍事費には9兆円を超える巨額を投じながら、命の源である農業を守る予算にはその4分の1、わずか2.3兆円しか充てない。
これは、豪華な鎧(武器)を次々と買い込みながら、食卓には茶碗一杯のご飯(お米)も並ばない、飢えた家庭の風景そのものではございませんか。
「母親は、子供を戦争に行かせるために産んだのではない」。
その叫びに、ワタクシは横浜の焼け跡でひもじさに泣く幼い弟や妹を抱き、
泥にまみれて食糧を探し歩いたあの日々を思い出しました。
お腹が空いては、どんな立派な鎧もまとえません。
守るべきはミサイルではなく、子供たちを健やかに育む「お米」であるはずだと、同じ母として強く共感いたしました。
沖縄の涙と、見えない滑走路:平和への祈り
最後に見過ごせないのが、沖縄の海と空の問題です。
米国防総省が「別の長い滑走路が選定されるまで普天間を返還しない」との見解を示していることが明らかになりました。
米政府監査院(GAO)が辺野古の滑走路の短さを指摘し、
有事に300機もの航空機を受け入れるための「別の滑走路」を求めているというのです。
これは、永遠に終わらない「追いかけっこ」であり、
沖縄を永久に「人質」に取るための卑劣な条件ではありませんか。
沖縄の透き通るような青い海へ、無機質な灰色の土砂が流し込まれる光景。
それを止められぬばかりか、米国の無理難題に一言の抗議もできず、
ただ大きな影に怯えて震える小さな背中のような政府のお姿。
これのどこが「強い日本」であり、「自主自立」なのでしょうか。
ワタクシには、「アメリカ言いなり」の構造がより深まっているようにしか見えません。
結び:未来へつなぐ
国会の代表質問が始まって、本日の「しんぶん赤旗」を読んで思ったことを綴りました。
政治は決して、他人事の数字の羅列ではございません。
ワタクシたちが今日を生き、明日を繋ぐための「自分たちの命の物語」なのです。
94歳のワタクシには、今の空気がかつての「翼賛的」な熱狂、
そして「治安維持法」で「国民総監視」へと繋がった
あの暗い時代へ回帰しようとしているように思えてなりません。
ワタクシにできることは、この胸の「もやもや」を言葉にして、
若き世代や孫たちへ書き残すことだけでございます。
どうか、国会という鏡に映る自分たちの姿を、見逃さないでください。
黄金の椅子に座る者たちが、皆さんの空っぽの茶碗を忘れていないか、その目で見極めてほしいのです。
最後の一句
「米一粒 命と知れよ 春の国会」
