バスに揺られて、鶴舞公園へ
2026年5月3日。
日本国憲法が施行されてから、79年が経ちました。
ワタクシ、チームあかねの助けをかりて、バスに乗って出かけてまいりました。
名古屋市の鶴舞公園の中にある、重厚なレンガ造りが歴史を物語る「名古屋市公会堂」。
「憲法施行79周年記念 市民のつどい」という講演会です。
今にも雨が降りそうな曇り空、会場周辺では、右翼の宣伝カーが何台も取り囲んでいました。
大音量で何か叫んでいるところを、警察の機動隊がたくさん並んで公園内に入り込まないようにしていました。
何とも、ものものしい雰囲気でしたが、公会堂の中は、いっぱいの人でした。
ラジオが戦争を運んできた日
会場では、元NHKディレクターの大森淳郎さんと、演芸評論家の柏木新さんのお話を伺いました。
テーマは、戦時中のラジオ放送と演芸が、いかにして戦争へと人々を「駆り立てて」いったか、という検証でした。
貴重な当時の音源も持ってきてくださいました。
スピーカーから流れる、どこかザラついた、鈍色の鉄が擦れ合うような冷たい声。
「言葉が、権力の拡声器へと変貌する瞬間でした」
かつてワタクシも聴いたあの放送は、美しい理想で人々の心を包み込みながら、
その実、自由を奪う「見えない鎖」だったのです。
文化が牙を抜かれ、死へと動員される様は、まるで透明な檻に閉じ込められていく小鳥のよう。
当時の記憶が熱い塊となって喉元までせり上がり、まるで、90年前から引っ張り出してきた記憶のフィルムが、
音と一緒に頭の中でぐるぐると回り始めるようでした。涙が、止まりませんでした。
文化というのは、花のようなものです。
咲いているときはその美しさで人を喜ばせる。
でも、根っこを握られてしまったら、水の代わりに「戦意」を注がれてしまったら、
どんな花も、戦争の道具に変わっていくのです。
ラジオがそうでした。落語がそうでした。映画が、歌が、詩が。
初代・林家三平と、地面の穴の話
この日、一番の「どよめき」が起きたのは、林家三平さんのお話でした。
昭和の爆笑王として知られたお父様、初代・林家三平さんについて、初めて明かされた真実。
「父は、あまり戦争の話をしませんでしたが……実は、特攻隊員だったのです」
ゼロ戦で敵の空母に突っ込む、あの特攻ではありません。
地面に掘った漆黒の穴に潜み、爆弾を抱えて、戦車が頭上を通過する瞬間に自爆するという、想像を絶する特攻でした。
華やかな高座で人を笑わせていたあのお父様が、冷たい土の中で、自らの命を花火のように散らす瞬間を待っていた……。
その光景を想像すると、胸が締め付けられるような、言葉にならない鉛色の悲しみが広がりました。
日本の敗北によって生き延びた命。その上に、今の笑顔がある。
お母様・海老名香葉子さんの戦争体験のお話も伺いました。
そして三平さんは、かつて戦意高揚のために演じられた国策落語「出征祝い」を、実際に披露してくださいました。
笑いの形をした、悲劇でした。
笑えるのに、笑えない。涙なしには聞けませんでした。
79年後の「戦時」の空気
ところで、この日、2026年5月3日憲法記念日は、全国で護憲の祭典でもありました。
本日の「しんぶん赤旗」に大きく掲載せれていました。
東京・有明防災公園には、5万人が集まりました。
5万人というのは、ちょっとイメージしにくいですね。
名古屋ドームがほぼ満員になる人数、と思ってください。
それだけの人が、有明の空の下に集まったのです。
阪神タイガースのユニフォームに背番号「9」を刻んで参加した男性。
「I LOVE 9条 愛と平和と粒あん」と書いたプラカードを掲げた女性。
戦時の暮らしを伝える35冊を並べた「青空図書館」。
ひとりひとりが、自分の言葉で、自分の形で、ここにいる。
その「個」の輝きが、ワタクシには一番嬉しかった。
京都、大阪、兵庫、福岡――全国各地でも集会が開かれました。
そこで語られた言葉の中で、ワタクシが最も深くうなずいたのは、これです。
「憲法は、国の美しい理想を語る詩ではない。主権者から政府への、命令書だ」
そうなのです。憲法とは、権力を縛るための道具。
国民が政治家に対して「あなたたちは、こうしなさい」と命じる文書なのです。
それを、「国の理想を語る物語」と言い換える人たちがいます。
「押し付け憲法」という嘘の正体
自民党は結党以来79年間、「改憲」を党是としてきました。でも、できなかった。
なぜか。国民が、守ったからです。
1952年血のメーデー事件、1960年の安保闘争、若者たちが命をかけて抵抗し、岸内閣を退陣へと追い込んだ。
その積み重ねが、この79年間なのです。
「アメリカに押し付けられた憲法だ」という言葉を、よく耳にします。
でもこれは、歴史を逆さまに読んだ話です。
1950年代の朝鮮戦争以降、再軍備と改憲を日本に執拗に迫り続けたのは、アメリカでした。
国民が守ってきた憲法は、その圧力への最大の防波堤だったのです。
そして、もうひとつ、ワタクシが深く心配していること。
今の日本では、6.5人に1人が貧困にあえいでいます。
ひとり親世帯に至っては、4人に1人が困窮状態。
「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」
憲法25条が、これほどまでに踏みにじられている現実があるのに、軍備拡張の議論だけが走っていく。
命と暮らしを後回しにする改憲論は、ワタクシには、どうしても納得できません。
沈黙は、戦中を招く
94年間生きてきたワタクシには、わかることがあります。
戦争は、突然やってくるのではありません。
じわじわと、「ことば」が変わっていく。
ラジオが変わる。落語が変わる。「笑い」が武器になる。
そうして気づいたときには、若者が地面の穴の中に潜んで、戦車を待っている。
名古屋で涙を流したワタクシの思い。有明に集まった5万人の意志。
沈黙は、戦中を呼び込む引き金です。
もし、ワタクシたちが沈黙を選べば、それは次の戦中への招待状になってしまうかもしれません。
声を出すこと、歩くこと、考えること、それが憲法12条の「不断の努力」というものでしょう。
94年生きてきたワタクシが、バスに乗って出かけた理由は、そこにあります。
最後の一句
ラジオから 来た戦争を 知ってるよ フォローより先に 憲法フォローせよ
おそまつさまでした。
