もうすぐ5月3日の憲法記念日。
この日を迎えるたびに、ワタクシの胸の奥がじわりと熱くなります。
まるで、長い冬を越えた梅の木が、今年もちゃんと咲いたことに安堵するような気持ちとでも申しましょうか。
けれど今年は違います。
その梅の根元に、誰かがこっそり鍬を入れているような、そんな不穏な気配が、日に日に強くなっています。
今日のワタクシの独り言は、少し長くなりますが、どうかお付き合いください。
最近の憲法をめぐる動き・戦後最大の岐路に立つ日本
ワタクシが生まれたのは昭和6年、1931年のことです。
満州事変が起きたまさにその年です。
物心ついた頃にはもう戦争の足音がそこにあって、女学校時代は日中戦争・太平洋戦争の真っ只中でした。
教科書は「お国のために死ぬことが美しい」と教えていました。
工場に動員されて、食べるものもなくて、空から爆弾が落ちてきて、それがワタクシの「青春」でした。
だから、昭和21年に日本国憲法が公布されたとき、15才だったワタクシは、あの条文の言葉をまるで砂漠の水のように吸い込みました。
「戦争は、もうしない」。
たったそれだけの言葉が、どれほど眩しかったことか。
あれから80年。
今、その憲法が戦後最大の岐路に立たされています。
現在の情勢を申し上げると、問題はもはや「議論」の段階をとっくに過ぎています。
「発議」という具体的な政治日程を目前にした、極めて深刻な局面です。
時計の針で言えば、5分前から1分前に変わってしまったような、そんな緊迫感があります。
最も心配なのは、軍拡と改憲がセットで進んでいる点です。
防衛費の倍増計画、殺傷能力を持つ武器の輸出解禁、これらは憲法の平和主義を内側から空洞化させる動きです。
まるで器の外見は変えずに、中身をそっくり入れ替えてしまうような話です。
憲法とはね、権力者への「命令書」なのです。
国民が政府に向かって突きつけた、金縛りの呪文みたいなもの。
偉い人たちが勝手なことをしないように、私たちが書かせた誓約書です。
その誓約書を、今、誓約を守るべき側が書き換えようとしている、これがワタクシたちにとっての今の現実です。
2015年の安保法制反対運動から続く「総がかり行動」などの市民連合が、
2026年の今、再び全国的な再結集を果たしています。
一度は静まりかけた炎が、また大きく燃え上がろうとしています。
高市首相の「改憲ロードマップ」その正体を解き明かす
神奈川の集会では「高市改憲の正体」という言葉が掲げられたそうです。
ワタクシ流に申しますと、政権の動きは三本の矢が一つに束ねられたような、組織的で強引な戦略になっています。
一本目の矢は、強引な発議スケジュールです。
高市首相は、憲法審査会を「議論の場」から「起草の場」へと強引にシフトさせようとしています。
野党の慎重論を「審議拒否」と決めつけ、多数決による発議を辞さない構えを見せています。
熟議のないまま国民投票へ突き進む、これは民主主義の手続きを踏み台にする動きです。
二本目の矢は、「緊急事態条項」による独裁的権限の追求です。
災害や紛争を名目に、内閣が法律と同等の効力を持つ「政令」を制定できる権限や、議員任期の延長を盛り込もうとしています。
わかりやすく申しますと、「お上がいざとなれば国会を飛ばして何でも決められる権限」のことです。
これは、有事において国会を形骸化させ、行政権力に白紙委任を与える「憲法停止条項」です。
三本目の矢は、改憲派勢力の総結集です。
神戸で開催される「公開憲法フォーラム」に象徴されるように、
日本会議などの右派組織と、自民・維新・国民などの改憲勢力が強固なタッグを組んでいます。
著名な論客をSNSやメディアで前面に立て、世論工作を強めています。
この中で、ワタクシが最もぞっとするのは「緊急事態条項」です。
戦前、大日本帝国憲法下の「緊急勅令」という仕組みが悪用されて、
治安維持法の最高刑に死刑が導入された、その歴史を、この目で見てきたからです。
ワタクシにとってはそれは、歴史ではなく、「実話」なのです。
「軍拡すれば安全」という理屈は、ワタクシの青春時代にも聞かされました。
ワタクシは戦争中、横須賀海軍工廠で、毎日、人殺しの兵器をつくらされていました。
その結果は、日本中の大空襲と原爆です。
何のためにワタクシの青春はあったのでしょうか。
国会・憲法審査会での護憲派の主張・議員たちの言葉を整理する
衆議院憲法審査会では、護憲派の議員たちが歴史的・生活者的な視点から、鋭い論理で改憲案に立ち向かっています。
ワタクシなりに整理してみました。
まず、れいわ新選組の奥田ふみよ氏による「国民からの命令」論です。
奥田氏は、憲法の本質について「主権者である国民から、権力者である政府に突きつけられた命令、縛りである」と喝破しました。
そして現在、日本人の6.5人に1人が相対的貧困にあるという現状を指摘し、
生存権を保障する憲法25条を政府が守っていないことを糾弾しました。
「憲法を変える前に、まず憲法を守り、国民の生活を救え」
この言葉は、ワタクシの心に深く刺さりました。
また奥田氏は、9条の実効的な抑止力についてもこう訴えました。
かつてイラン・ホルムズ海峡への自衛隊派遣が議論された際、
派遣を見送ることができたのは「憲法9条」という盾があったから。
9条こそが日本を戦争に巻き込まれないように守ってきた「最強の安全保障」であると。
次に、日本共産党の畑野君枝氏による「歴史的教訓」からの警告です。
畑野氏は、緊急事態条項がもたらす悲劇を、日本の近現代史に照らして警告しました。
大日本帝国憲法下における緊急勅令が悪用され、治安維持法の最高刑に死刑が導入された歴史を挙げ、
行政に全権を与えることの危うさを指摘したのです。
これはワタクシが実際に生きてきた時代の話です。
さらに畑野氏は、災害対応を口実にした任期延長案に対し、
「参議院の緊急集会」という現行憲法の規定で十分対応可能であることを論証しました。
緊急事態条項の真の狙いは、有事における「政府の独裁」を正当化することにあると、厳しく批判しています。
この二人の主張を聞いて、ワタクシが改めて思ったのは、憲法は「机上の空論」ではない、ということです。
6.5人に1人の貧困という数字は、今この瞬間も誰かが苦しんでいる現実。
緊急勅令の悪用は、ワタクシが幼い頃に目撃した歴史。
憲法の話は、暮らしと歴史に直結しているのです。
5月3日、全国各地で灯る護憲の炎・100箇所以上の集会を紹介
今年の憲法記念日、全国100箇所以上で集会が開かれます。
たくさんの小さなろうそくが、大きな明かりを作る、そんな光景が全国で展開されます。
一本では消えそうでも、百本集まれば嵐の中でも揺れない。
ワタクシはそこに、この国の底力を感じています。
まず首都圏からご紹介します。
東京の有明防災公園では「2026憲法大集会」が開催され、数万人の結集が見込まれています。
著名人のスピーチに加え、若者による表現活動やクラウドファンディングによる
自立した運営など、現代的な市民運動の力強さが象徴されています。
神奈川ではかながわ県民センターにて「5.3県民集会」が開かれ、
法律家の伊藤真氏が高市政権の改憲論理を徹底解剖します。
法律の専門家が市民の言葉で語る、これがワタクシには何より心強い。
関西・中京圏でも熱い動きが続いています。
大阪では扇町公園にて「おおさか総がかり集会」が開催され、
前川喜平氏が教育と憲法の危機を訴えるほか、パレードで維新政治への批判も展開されます。
京都の円山公園音楽堂では、中野晃一氏を招いた集会のあと、
伝統ある街並みを歩く「憲法ウォーク」が実施されます。
歩きながら考える、これはワタクシにとって羨ましい催しです。
名古屋では名古屋市公会堂にて、戦時中の「国策落語」再現を通じて
文化の戦争利用を問い直す、異色の集会が行われます。
笑いの中に潜む怖さ、ここにこそ、深い知恵があります。
ワタクシの住む名古屋でこんな試みが行われることを、誇りに思います。
是非、ワタクシも体力が許せば参加してみたいと思っております。
平和への願いが深い広島では、県内10箇所以上をオンラインで結ぶ「5・3憲法集会」が開催されます。
被爆地の使命として核廃絶と9条堅持を世界に発信します。
広島が声を上げるとき、それは単なる「反対」ではなく、「あの日」を知る者の魂の叫びです。
福岡ではなみきホールでの「福岡県民集会」を中心に、「改憲は戦争への道」をスローガンにした決起が行われます。
九州から発せられるこの言葉の重さを、ワタクシはずっしりと受け取っています。
護憲の国民の動きを評価する・ワタクシが94年かけて辿り着いた答え
現在進行形の市民の動きは、単なる「古いものへの固執」ではありません。
現代の諸問題に対する「積極的立憲主義」の提示だとワタクシは評価しています。
まず、これは「歴史の書き換え」への抵抗です。
緊急事態条項への強い拒否感は、日本人が過去の軍国主義への反省を、
血肉化された知恵として保持していることの証です。
これは「勉強した知識」ではなく、「生きてきた感覚」なのです。
次に、人権と生活の再定義です。
憲法25条の生存権や、13条の個人の尊重を旗印に、物価高や非正規雇用の問題に立ち向かう姿勢は、
憲法を「博物館の展示品」から「生きるための武器」へと進化させています。
そして、草の根の民主主義の成熟です。
愛知での「9の日」活動や各地域の少人数の勉強会が、全国規模の大集会を支えています。
このボトムアップの構造こそが、トップダウンで改憲を強いる政権に対する最大の抑止力となっています。
最後に、「平和の創造」としての9条です。
9条を「守る」だけでなく、外交の指針として「使う」という視点が、
議員たちの発言や市民のメッセージの中に明確に現れています。
盾は、使いこなしてこそ輝くものです。
娘や息子、孫たちが「あかねの独り言制作実行委員会」を結成して、
ワタクシの話をブログやYouTubeに残してくれています。
「90年の現代史を残すんだ!」とワイワイ手伝ってくれる子どもたちを見ていると、長生きするのも悪くないと思います。
ワタクシが語れることは、歴史の教科書には載っていない「手触り」です。
戦争がどんなにおいがするか。
憲法という約束書を手にしたとき、どれほど胸が震えたか。
それを知っている最後の世代が、今こそ声を上げなければならない。
2026年の憲法記念日は、高市政権による改憲への暴走を止めるための、
国民による「立憲主義の再宣言」の場となるでしょう。
憲法は権力者を縛るための命令であるという当たり前の常識を、この国の隅々まで響かせる。
その使命を、今日ワタクシも、この独り言で担いたいと思っています。
戦後の自由がどれほど甘く、麻薬のように、権力者にとっての都合のいい有権者を作ってきたことへの反撃をするときです。
憲法記念日は「お祝い」の日であってほしい。
この「約束」が守られていると確認できる日であってほしい。
ひ孫の顔を見るたびに、この子たちには戦争を知らずに生きてほしいと、ただただ願うのです。
みなさん、どうか、この古い約束書を手に取って、読んでみてください。
ワタクシのような老婆の独り言を、温かい心でお聞きいただければ幸いです。
最後の一句
ひ孫へと 渡すバトンは 九条よ
