雨上がりの早朝、蒸し暑い朝でございます。
窓の外を眺めながら、ワタクシはそっと筆を執りました。
昭和6年に生を受け、はや94年。この長い月日の中で、ワタクシは幾度となく時代のうねりを目の当たりにしてまいりました。
かつての日本が「軍靴の足音」を響かせ、自由な言葉が枯れ葉のように踏みにじられていったあの重苦しい空気を、
ワタクシの古い記憶の断層は今も鮮明に覚えております。
近頃の不穏なニュースを耳にするたび、あの冷たい記憶が微かな震えとなって背筋を走る、そんな日々でございます。
2026年8月の終わり。パソコンで「しんぶん赤旗電子版」をめくれば、そこには日本が今まさに立たされている危うい現在地と、
その暗雲を切り裂こうとする希望の光が交互に映し出されておりました。
24日から30日までの紙面を総括いたしますと、それは単なるニュースの集積ではなく、
私たちの「命の尊厳」を巡る切実な攻防の記録そのものでございました。
大軍拡の陰で人々の暮らしが削られ、民主主義の根幹が揺らいでいる現実。
一方で、歴史の審判に立ち、対話の可能性を信じて声を上げ続ける人々の姿。
本日は、94年生きてきた老婆の独り言として、この一週間に「しんぶん赤旗」が伝えた真実と、
私たちが次の世代へ繋がねばならない「平和への祈り」について、静かに、けれど心からの言葉で綴らせていただこうと思います。
ワタクシの人生という長い旅路の終着点から見える景色が、今を生きる皆様の心に、
ささやかな灯をともすことができましたら、これ以上の幸せはございません。
2. 一週間の歩みを振り返る:紙面が伝えた「平和への闘い」の記録
この一週間、紙面が描き出したのは、強権的な政治に対峙する知性と、生活の現場から上がる切実な叫びの響き合いでございました。
8月24日の1面を飾ったのは、京都市内で23日に行われた志位和夫議長による「資本論」講座の熱気です。
「仕事のモヤモヤの正体・希望ある未来」と題されたその講座には、オンラインを含め多くの人々が詰めかけ、立ち見が出るほどの盛況だったそうでございます。
看護師や教員といったケア労働に従事する方々が、人手不足や低賃金の過酷な実態を語る姿に、ワタクシは深い感銘を受けました。
志位氏は、マルクスの『資本論』における「労働過程論」を引き、ケア労働とは生きた人間に働きかけ、
生命と発達を保障する、人間社会を根底から支える貴い意義を持つものだと解明されました。
さらに『ゴータ綱領批判』に触れ、社会主義・共産主義の社会では、社会保障や教育が資本の搾取から解放され、
はるかに豊かな財源が確保されるという展望を示されました。
知性をもって未来を切り拓こうとするその姿勢は、まさに混迷する現代の羅針盤のように思えます。
同日の紙面では、田村智子委員長が22日夜、インターネット番組で高校生と語り合う姿もございました。
「外交には可能性しかない」と断言する田村氏の言葉に、不安を抱えながらも真剣な眼差しを向ける若者たち。
力による支配ではなく、対話による平和を渇望する新しい世代の息吹に、ワタクシの胸は温かくなりました。
しかし、現実は容赦なく襲いかかります。
25日の1面は、記録的な豪雨に見舞われた千葉県の惨状を伝えておりました。
畑野君枝氏、大門実紀史氏、斉藤和子氏ら日本共産党の議員団が、政府へ激甚災害の指定や財政支援を強く要請した記録。
車が水没して役所へ罹災証明を出しに行けない、災害ゴミも捨てられないという被災者の困窮。
これは決して他人事ではございません。
また同日の社会面では「薬害根絶デー」の活動が報じられ、サリドマイド被害者の増山ゆかりさんらが、
二度と過ちを繰り返さないよう厚労相に詰め寄る姿がございました。
これら一つひとつの出来事は、すべてが「命」を最優先にする社会への渇望で繋がっております。
そして、その渇望が最も激しく、最も気高く燃え上がっているのが、今、選挙の火蓋が切られようとしている沖縄の地でございます。
3. 深掘りテーマ(1):沖縄の叫びとデニー知事の決意――辺野古の断念と命どぅ宝
沖縄という言葉を口にするたび、ワタクシの心には重い鉛のような悲しみが沈殿いたします。
8月26日の1面、そして3面にわたる玉城デニー知事のロングインタビューを読み、ワタクシは魂が震えるような感動を覚えました。
27日に告示を迎える知事選を前に、デニー知事は「命どぅ宝(命こそ宝)」という、うちなーんちゅの誇りを全身で語っておられました。
何より許しがたいのは、米軍が「長い滑走路がなければ普天間は返さない」と主張しているという衝撃的な事実です。
辺野古の新基地建設を強行しながら、その滑走路が短いからと、さらなる負担を要求する。
これはもはや沖縄県民に対する「裏切り」を通り越し、人権への「蹂躙」ではありませんか。
さらに、8月18日に那覇空港で起きた航空自衛隊F15戦闘機の事故によって滑走路が4時間も閉鎖された事実を引き、
那覇空港を軍事利用することの危険性を説く知事の言葉には、県民の命を預かる者の強い責任感が滲んでおりました。
高市政権が推し進める「南西シフト」という名の軍事強化は、ワタクシのような戦争を知る者にとって、
かつての沖縄戦の悪夢を呼び起こさずにはおれません。
自衛隊の急激な配備拡張や長距離ミサイルの配備、それは沖縄を再び「捨て石」にし、戦場へと引きずり込む導火線に他なりません。
今の政治家たちの勇ましい言葉は、ワタクシの耳には、かつての空襲警報のサイレンのように不気味に響くのでございます。
しかし、デニー知事の言葉には、冷たい軍事論理を跳ね返す温かな人間味がございます。
育ての親である「おっかー」から授かった「カーギヤ、カードゥヤンドー(見た目は皮一枚、剥げば皆同じ赤い血が流れている)」という言葉。
そして「10本の指は形も長さも違うが、皆上等である」という比喩。
多様性を尊び、誰ひとり取り残さないという彼の信念は、
かつて排外主義に染まったあの暗い時代の対極にある、真の民主主義の姿でございます。
沖縄の尊厳を守ることは、日本全体の民主主義を守ること。
その根幹にある「人々の声」がいかに蔑ろにされているか、その正体を暴く必要がございます。
4. 深掘りテーマ(2):ゆがめられる民意・小選挙区制の30年と定数削減の罠
民主主義を守るとは、一人ひとりの「声」を、かけがえのない宝物として政治に届けることでございます。
しかし、今週の紙面、特に25日付1面と2面で塩川鉄也国対委員長が告発した事実は、あまりに空虚で残酷なものでした。
現行の選挙制度において、投じられた票の半分までもが「死票」となって消えていくという現実。
それは、一票を投じるために、不自由な足取りで腰をかがめ、杖を突きながら投票所へ向かう高齢者たちの、
あの懸命な歩みさえもが無に帰すような、耐え難い残酷さでございます。
国民が社会を良くしたいと願いを込めた大切な一票が、砂浜に描いた文字のように
権力という波にさらわれ、跡形もなく消し去られていく光景が目に浮かびます。
塩川氏が指摘するように、小選挙区制は「虚構の多数」を生み出し、強権政治の温床となりました。
そして今、自民党や維新の会が「身を切る改革」という、耳に心地よいだけのスローガンを掲げて進めようとしている
「議員定数削減」こそ、民主主義を窒息させる最も危険な罠でございます。
「身を切る」と言いながら、実際に切られているのは国民の「手足」であり、その「声」なのです。
日本の国会議員定数は、国際的に見ても、また歴史的に見ても最も少ない水準にございます。
定数を減らせば、それだけ国民と政治の距離は遠ざかり、小さな声、反対の意見は容赦なく封じ込められます。
それは、民主主義という豊かな庭に咲く多様な花々を、効率の名の下に一本残らず刈り取ってしまうような暴挙。
本来、国会とは多様な国民の代理人が議論を尽くし、政府を監視する場であるはず。
それをスリム化することは、政府の暴走を許す白紙委任状を与えるに等しいのでございます。
私たちは、女性議員の極端な少なさと定数削減の弊害を指摘した有識者の警告を重く受け止めなければなりません。
死票を最小限に抑え、多様な民意を正確に反映できる比例代表中心の制度への転換こそ、
歴史の闇から聞こえる警鐘に応える道でございます。
さもなければ、私たちは気づかぬうちに、一握りの強者がすべてを決める、あの暗い時代へと逆戻りしてしまうでしょう。
5. 深掘りテーマ(3):久米島事件81年・「スパイ防止」の名の下に行われた惨劇の教訓
歴史の闇、という言葉を使いながら、ワタクシは26日付2面が伝えた「沖縄戦・久米島事件81年」の記事に、背筋が凍りつくのを感じました。
1945年の夏、沖縄の久米島で、守るべき国民であるはずの住民たちが、
日本軍の手によって「スパイ」という濡れ衣を着せられ、次々と惨殺された凄惨な事件。
味方の軍隊に疑われ、命を奪われるという地獄。
生存者の方が「このままではまた同じことが」と震える声で発した警鐘は、決して過去の遺物ではございません。
この悲劇を思うとき、25日の3面で報じられた自民党の「情報防衛力強化(スパイ防止関連法制)」の提言に、ワタクシは強い戦慄を覚えます。
外国のスパイ工作から国民を守るという名目で行われようとしている「防諜・諜報」の強化。
そこには、令状なしの通信傍受を可能にするような、憲法の精神を根底から覆す内容が含まれております。
白藤博行氏や小澤隆一氏が指摘するように、軍事秘密を盾にした監視の動きは、権力が国民を支配するための最も凶悪な武器となり得ます。
ワタクシの少女時代、隣組の監視の目に怯え、一言の不満も漏らせず、言葉を飲み込んで生きていたあの息苦しさ。
治安維持法の下、国家が国民を「疑う対象」として見始めたとき、人々の平穏な暮らしは、
その色彩を一気に失い、かつての国民服のような、くすんだ国防色に塗りつぶされていくのでございます。
国家が人を信じなくなったとき、そこに現れるのは「疑心暗鬼」という地獄の入り口です。
プライバシーが暴かれ、自由に物を言うことが憚られる社会。そんな世の中になってしまえば、
私たちが戦後80年かけて築き上げた平和の誓いも、すべてが無に帰してしまいます。
久米島で流された尊い血は、私たちに「国家権力に盲従してはならない」と、
時を超えて叫んでいるように聞こえるのでございます。
これらの隠された事実を掘り起こし、権力の監視の目を、逆に国民の側から権力へと向けさせるためには、
真実をありのままに伝える「目」としての新聞の役割が、今、死活的に重要になっております。
6. ワタクシの愛読書:しんぶん赤旗電子版が届ける「希望」の光
さて、このように重々しい現実について語ってまいりましたが、ワタクシには日々のささやかな楽しみがございます。
それが「しんぶん赤旗」を読む時間でございます。
最近では、ワタクシのような老婆でも「電子版」という文明の利器を便利に使っておりますのよ。
眼が衰えたワタクシにとって、指先一つで文字を大きく拡大できる機能は、まさに魔法のようでございます。
眼鏡を何度もかけ直すことなく、美しい写真や詳細な数字を読み取れる喜び。
時には音声読み上げ機能を使って、夕食の準備をしながら記事を聴くこともございます。
何よりワタクシがこの新聞を愛しているのは、その文面に宿る温かな眼差しでございます。
スポーツや芸能の記事にしても、昨今の週刊誌のようにスキャンダルを追い回し、人を辱めるようなことはいたしません。
山口茜さんのバドミントンでの奮闘や、小林沙羅さんのデビュー20周年の決意。
一人の人間が、その人生において何を大切にし、どのように困難を乗り越えてきたのか。
その「生き方」を尊び、敬意を持って筆を走らせていることが伝わり、心がほっこりと温まるのでございます。
しかし、この真実の灯火を絶やさないことは、今、並大抵のことではございません。
経営の危機にあるという事実を、紙面は包み隠さず正直に伝えております。
権力に媚びず、大企業の広告にも頼らず、ただ読者の支えだけで歩んできたこの新聞は、今まさに皆様の助けを必要としております。
「ゆいまーる」という沖縄の助け合いの精神を、今こそ私たちが発揮するときではないでしょうか。
真実を知る武器としての「赤旗」を存続させることは、私たちの自由を守ることに他なりません。
幸いなことに、今なら「3週間お試しキャンペーン」というものもございます。
まずはその手触りを感じ、電子版の利便性に触れてみてください。
動画のコメントでも「しんぶん赤旗申し込みました」「日曜版ですが読んでみます」といったお声が届いています。
社会を動かしている大きな力の正体、そしてそれに対抗する勇気ある小さな声。
その両方を情熱を持って伝えるこの新聞が、皆様の人生にとっても、明日を照らす「希望の光」になると信じております。
7. 結びに代えて:最後の一句
長々と老婆の独り言にお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
一週間の「しんぶん赤旗」を読んでの今の心境を一句に託させていただきます。
青い海 秋風待てど 滑走路(はしるみち)
辺野古新基地の強行に加え、那覇空港までも米軍使用の対象として狙うような長い滑走路要求を風刺し、美しい沖縄の海に穏やかな秋の風が吹くことを願いつつも、いまだ戦後の基地負担という重苦しい熱気が居座り続けている現状を表現しました。
皆様の明日が、争いのない、穏やかな光に満ちたものでありますよう、心よりお祈り申し上げております。



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