内閣情報局が報道を統合・規制し言論の自由は失われた。
国防保安法や改正された治安維持法が施行され、思想犯の予防拘禁や「造言飛語」の処罰が強化された。
国旗損壊処罰法のような不敬罪が適用され宗教弾圧、言論弾圧。
メディアや隣組を動員した支配体制が、国民を戦争へ駆り立てた。
国家総動員法により、政府は人的・物的資源の全面的な管理を可能にした。
これは、今、現在の日本ではございません。ワタクシがまだ幼いころの日本です。
十五年戦争下、日本は戦争継続のため強固な統制社会へと変貌しました。
今週の「しんぶん赤旗」を読んで思いをめぐらせました。
梅雨どきの蒸し暑さに頬を撫でられながら、ワタクシは、今朝もパソコンの画面に向かい、「しんぶん赤旗」電子版をひらきました。
6月22日から28日、この一週間のしんぶんを読み終えて、ワタクシの胸にずっと重く沈んでいるのは、ひとつの問いでございます。
「この国は、誰のための国旗を、誰の言葉で縛ろうとしているのか」。
94年も生きておりますと、世の中の理不尽というものには、ある程度の耐性ができるものでございます。
けれど今週ばかりは、その耐性をすり抜けて、胸の奥にじんわりと冷たい水がしみ込んでくるような気がいたしました。


沖縄「慰霊の日」81年 — 名前を読むということ
6月23日は、沖縄が「慰霊の日」を迎えた日でございました。
81年前のあの夏、沖縄では県民の4人に1人、12万2千人を超える命が、灼け付くような砲弾の雨の下で奪われました。
糸満市摩文仁の「平和の礎」には今年も新たに95人の名前が刻まれ、総数は24万2659人になったと知り、
ワタクシは思わずキーボードから手を離してしまいました。
一人ひとりに名前があり、暮らしがあり、誰かに愛された人生があったのです。
数字というものは、こうして一つひとつの「名前」に分けてみないと、その重さがわからないものでございます。
豊見城市の中学2年生のかたが、追悼式で朗読した「平和の詩」は、曽祖母の右足に今も残る古い傷をめぐる物語でございました。
戦火のなか、恐怖のあまり自分で足を引っかいてできた傷を、少女は「生きたいと願った証」と呼びました。
ワタクシも女学校時代、焼け跡を歩いた記憶がございます。
傷というものは、皮膚が塞がっても、心の奥では塞がらないものなのです。
「きょうの潮流」が紹介していた、米軍に撮られた一枚の写真の少女、比嘉富子さんのお話にも胸を締め付けられました。
死体が散らばる戦野をひとりさまよった七歳の少女が、戦後80年を経てなお「二度と戦争が起きないよう」と若い世代に願いを託していたといいます。
そして「平和の礎」の名前を読み上げる活動は、今年で5年目を迎えました。
共同代表の町田直美さんは、シベリア抑留者の名前を読んだ友人の「人生が変わった」という言葉がきっかけだったと話しておられます。
今年は14の国と地域から5千人を超える参加が見込まれているとのこと。
読み上げるという、ただそれだけの行為に、こんなにも多くの人の心が動かされる。
ワタクシはそこに、まだこの国に残された希望の灯を見る思いがいたしました。
その一方で、就任後初めて沖縄を訪れた高市早苗首相は、追悼式のあいさつで「基地負担の軽減」という言葉を一度も使いませんでした。
自民党が政権に復帰してからの十数年、どの首相も建前としてでも口にしてきた言葉でございます。
それすら、首相の本音は、式典後の会見ではっきりと見えました。
沖縄を「わが国防衛の最前線」と位置づけ、軍備増強を「喫緊の課題」と語ったのです。
玉城デニー知事は平和宣言で、恒久平和と核廃絶は空虚な理想論ではないと、
波の音のように静かに、しかし芯の通った声で首相へ語りかけました。
さらに、参政党の神谷宗幣代表が同じ「慰霊の日」に「沖縄は戦地にされてもしょうがない」と発言したことには、
遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが「望んで戦地になったわけではない」と厳しく反論しています。
ワタクシも全くその通りだと思います。
沖縄は誰かの都合のために犠牲になってよい場所では、決してございません。
「不快」で裁かれる時代に — 国旗損壊処罰法案
今週、ワタクシが最も背筋の寒くなった話題は、国旗損壊処罰法案でございます。
自民、日本維新の会、国民民主、参政の4党が共同提出し、6月26日には衆院内閣委員会で採決が強行されました。
「人に著しく不快又は嫌悪の情を催させる方法」で国旗を損壊した者を罰するという法案ですが、
何が処罰の対象になるのかと問われても、提出した側は「総合的に勘案する」と繰り返すばかり。
同じ行為であっても、結果として「処罰対象になり得ることも、なり得ないこともあり得る」という、煮え切らない答弁まで飛び出しました。
これでは、判断する人の機嫌次第で人を罰することができてしまう。
法律というより、占いのようなものでございます。
日本共産党の畑野君枝議員は反対討論で、「日の丸」が2千万人を超えるアジア・太平洋の人々と310万人を超える日本国民を犠牲にした侵略戦争のシンボルでもあった歴史を踏まえ、
「国旗を大切に思う感情」を刑罰で強制することは断じて許されないと訴えました。
日本弁護士連合会、日本ペンクラブ、アムネスティ・インターナショナル日本、日本キリスト教協議会と、立場の違う団体が次々に反対の声をあげているのも当然のことです。
各紙の社説も、表現の自由を侵すおそれが強いと、色合いの違う立場からそれぞれに筆をそろえて批判しています。
同じ週に掲載された、表現の自由をめぐる座談会も忘れられません。
2004年、自衛隊官舎にビラを配って逮捕された人たちの裁判を描いた書籍をめぐり、
著者は、政府が戦争を始めたときに「やめてほしい」と訴える自由は、時代を超えて保障されなければならないと語っています。
そしてもう一つ、戦争を生きた身として、なんとも不愉快な事実、沖縄戦研究者の林博史さんによるお話でした。
81年前、沖縄では「防諜」の名のもとに、軍を批判する民衆が「スパイ」とされ、命を奪われました。
今、政府がすすめる「スパイ防止」関連の法律づくりに、同じ危険がないと言えるでしょうか。
不平不満を口にする者を「国賊」と呼んだ時代を、ワタクシはこの目で見てきました。
あの過ちを、形を変えてもう一度繰り返してはならないのです。
座談会では、SNSによって誰もが発信者になれる一方で、同じ意見ばかりに囲まれてしまう「エコーチェンバー」という現象も指摘されておりました。
違う意見がぶつかり合う「思想の自由市場」が崩れ、それでも国がコミュニケーションの空間を設計すべきだという学者もいるそうですが、それは権力者にとって都合のよい誘導になりかねません。
声をあげる場所を、誰かに決めてもらってはいけない。
ワタクシたち市民が、自分の足で街頭に立つことの意味は、画面の中だけでは決して埋まらないのでございます。
答えない首相、揉み消されようとする政治とお金
高市首相をめぐる疑惑も今週、大きく動きました。
後援会が首相の名前を使った暗号資産の宣伝に加担した疑いについて、国会で追及された首相は、
「秘書の陳述書を提出するので答弁に代えさせてほしい」と、まさかの答弁拒否に出たのです。
深夜から早朝にかけて秘書に電話をかけ続けたという言い訳まで披露しながら、肝心の責任については一言も語りませんでした。
高市氏の答弁、遅刻の言い訳をしている中学生のような感じですね。
野党の議員は、これでは国会審議そのものが成り立たなくなると厳しく批判しました。
長年、国の政治を見てきたワタクシでも、こんな堂々とした、それでいて子どものような答弁拒否は、なかなか見たことがございません。
思いがけない結末といえば、この件はまさにそうでした。
一国の首相が、最後には「業務時間が確保できない」とぼやくところに行き着いたのですから。
そしてその裏で、企業・団体献金禁止の議論を先送りにしたまま、
衆院議員の比例定数を45議席削減しようとする動きが強行されています。
2月の総選挙では、自民党は36.7パーセントの得票で67.8パーセントの議席を得ました。
死票の多い小選挙区はそのままに、民意を最も正確に映す比例の定数だけを削るというのですから、本末転倒もいいところです。
思い返せば1993年、当時の細川護熙首相は「企業・団体献金については、廃止の方向に踏み切る」と所信表明で語ったものでした。
それなのに翌年の「政治改革」関連法では、政党支部への献金とパーティー券という二つの抜け道がこっそりと作られ、結局、腐敗は何度でも繰り返されてきたのです。
抜け道をふさがずに数だけをいじる「政治改革」など、看板を塗り替えただけの空き箱のようなものでございます。
世界は、まだ動いている
ウクライナでは、ザポリージャ原発をはじめ各地の原発が戦争の標的にされ続け、侵略以降19回目の外部電源喪失が今月起こったといいます。
それでも日本政府は、原発を「最大限活用」する方針を捨てず、再稼働や新増設をすすめています。
原子力資料情報室の松久保肇さんは、戦争になれば原発は守れないという虚構を住民に説明することは、政府が国民をだましているに等しいと指摘していました。
戦場になることを想定しながら、自ら標的を増やす。これほど支離滅裂な話があるでしょうか。
まるで、燃えやすい紙でできた家に住みながら、もっとマッチを増やそうと言っているようなものでございます。
イランとアメリカの間では、覚書発効後初めての攻撃の応酬が起こりました。
レバノンでは、イスラエルとヒズボラの和平に向けた枠組み合意がワシントンで署名されましたが、
イスラエルのネタニヤフ首相は占領地域の一部を「試験区域」としてレバノン軍に明け渡す考えを示しつつも、
脅威が続く限り部隊を駐留させると述べ、ヒズボラ側は強く反発しています。
看板だけは「和平」でも、実際には信頼という土台がまだどこにも見当たらない。
レバノン国内では攻撃による死者も増え続け、停戦は形ばかりのものになっています。
けれども、米連邦議会上院がトランプ大統領に対イラン軍事行動の停止を求める決議を可決し、
世論調査ではトランプ氏の支持率が34パーセントまで落ち込み、
国際社会でのトランプ氏への信頼度は実に76パーセントが「信頼しない」と答えたという知らせには、ささやかな安堵を覚えました。
アメリカでは、イスラエルのロビー団体から献金を受け取らないと誓う市民の運動も広がっています。
世界は、決して動かないわけではないのです。
ガーナで開かれた国際会議では、大西洋を渡って奴隷とされた人々への賠償を求める各国首脳が、
正義の追求も大陸をまたぐものでなければならないと声をあげました。
歴史の過ちは、いつかきちんと償われなければならない。ワタクシはそう信じております。
おわりに — 赤旗電子版のおすすめ
今週もまた、紙面の向こうから、声を上げ続ける人々の姿が見えてまいりました。
怒りや悲しみだけではなく、名前を読む声、誓いを語る声、反対の声明を出す声と、色とりどりの声がこの一週間を織り上げておりました。
名を読む人がいて、答えを拒む人がいて、その間に94歳のワタクシが、画面の前でただ静かにキーボードを叩いている。
それもまた、声をあげることのひとつの形なのかもしれないと、今は思っております。
「しんぶん赤旗」は今、経営の危機にあると申します。
市民の立場でこれだけの取材を続けている新聞が、この国にどれだけあるでしょうか。
無料のお試し期間からはじめれば、3週間お試しで読むことができるそうです。
ぜひ一度、覗いてみていただけたら、ワタクシも嬉しく思います。
今週の一句
名を呼べば 風も歩みを 止める夏
沖縄「慰霊の日」81年、呼ばれた名前の数だけ、夏の風はそっと足を止めるのでしょう。誰も忘れていない、それだけのことを、風はちゃんと知っているのかもしれません。



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