デジタル選挙が「兵器」になる日
90年以上、この国の現代史と一緒に歩いてきましたが、いま目の前で起きていることは、ちょっとこれまでとは違う種類の「恐ろしさ」でございます。
本来、インターネットやデジタル技術というのは、候補者と有権者が直接対話できる夢のような道具のはずでした。
テレビや新聞を通さず、自分の言葉で政策を伝えられる。そんな希望があったはずなのです。
ワタクシもこうやってブログやYouTubeで言いたいことが言えるようになりました。
ところが、2025年の自民党総裁選から2026年の衆議院選挙にかけて浮き彫りになったのは、その道具が「情報を操る工場」へと変わり果て、
民主主義の根っこを揺るがす「兵器」として使われているという、ゾッとするような現実でした。
今日、ワタクシが皆さんとじっくり考えたいのは、高市早苗陣営によるSNSを使った批判キャンペーン疑惑のことです。
これは単なる一政治家のスキャンダルではありません。
本来、公の場で堂々と行われるべき「政策論争」が、正体不明の隠れた中傷工作にすっかり取って代わられ、
有権者の判断が、背後からこっそりと操られていた疑いが濃いのです。
ここで使われた手法に、防衛省でも警告を鳴らしている「認知戦」という言葉があります。
防衛省・長沼加寿巳氏の論文を読みました。
中国人民解放軍が想定する認知域作戦の特徴 1―欧米諸国の研究と軍機関紙『解放軍報』等の論考を比較して―
難しい言葉ですが、わかりやすく申し上げますと、「爆弾で建物を壊すのではなく、人の頭の中にある考え方や判断力を攻撃して、自分たちに都合のよい行動に誘い込む情報戦略」のことです。
かつてロシアや中国が他国の民主主義を揺るがすために使っていたこの「兵器」が、
今や日本の国内の権力争いの中で手作りされているという事実。
これは、国の安全保障にとって、深刻な弱点をさらけ出しているということでございます。
この辺のことは、「チームあかね」が詳しく解説しています。
「高市早苗陣営によるSNSネガティブキャンペーンの経緯と構造的問題点・ネットでの政策論争・選挙活動の展望(チームあかね編)」

週刊文春の三発の砲弾が暴いたもの
週刊文春が放った一連のスクープ……いわゆる「文春砲」が三弾にわたって炸裂し、
高市陣営が積み上げてきた「知りません、やっていません」という壁を、デジタルの記録という客観的な証拠で一枚ずつ剥がしていきました。
まず一弾目です。
自民党総裁選のさなか、TikTokなどの正体不明のアカウント「真実の政治」が、小泉進次郎氏を「無能」と繰り返し叫び、林芳正氏をからかう動画を大量にばらまきました。
最初は、熱心な支持者が勝手にやっているように見せかけられていましたが、文春はその裏に陣営の組織的な関与があることを突き止めたのです。

二弾目で疑惑はさらに深まります。
このSNS工作班を仕切っていたのが、なんと高市政権で「子ども政策担当大臣補佐官」を務める西田譲氏、元衆議院議員の方であることが暴かれました。
表向きはインターネット戦略を担当する政府の役職にある方が、裏では対立候補を貶める秘密の会議に参加していた。
これは政府の信頼性というものを根底から覆すことではないでしょうか。

そして三弾目、これが決定打でした。高市氏の最側近である公設第一秘書・木下剛志氏から、動画制作者の松井健氏へと送られた、
なんと67通もの通信アプリでのやり取りが証拠として出てきたのです。
67通といえば……そうですねえ、毎日1通ずつ書いても2か月以上かかる量です。
そこには単なる「協力のお願い」ではなく、中傷動画に使う素材、具体的には林氏の特定の写真などの提供や、
陣営内の日報までが共有されていた詳細な記録がございました。
これはもはや、外部の支持者が「勝手に暴走した」のではなく、陣営の中枢が直接手を貸して一緒にやっていた、という動かぬ証拠でございます。

そして、ワタクシが読んで、背筋が冷たくなった言葉があります。
衆議院選挙の後、木下秘書がスタッフへ送ったというメッセージ。
「旧立憲民主の害獣を沢山駆除することができました」。
……対立する候補や政党を、人間ではなく「害獣」と呼び、その落選を「駆除」と表現する。
この一言こそが、高市政権の背後に潜む考え方の貧しさと、民主主義というものへの不遜な姿勢の「本当の顔」を象徴していると、ワタクシは思います。
国会の答弁が崩れ落ちた瞬間
国会という公の場で行われた首相の答弁が、客観的な事実の検証を拒み、「信じています」というお気持ちの表明に変わってしまったとき、政治的責任の所在というものは霧のように消えてしまいました。
高市氏は追及に対して、「私も秘書も制作者に会ったことはない」「秘書を信じる」と述べ、疑惑を全面否定し続けました。
しかし、ここにはすり替えがございます。
「直接会っていない」という言葉は、ズームなどのオンライン会議や、通信アプリでのデジタルでのやり取りを意図的に隠すための逃げ道になっているのです。
デジタルの時代における「会う、ミーティングをする」には当然、画面を通じた接触も含まれるべきでしょう。
その現実から目を背ける姿勢は、誠実さとはほど遠いものです。
さらにワタクシが気になったのは、疑惑が深まるたびに、過去に書いたブログをこっそり削除するという行為です。
かつてご自身のブログで、「秘書が勝手にやったと言い訳したくない」と堂々と書いておられたのに、
今回は「秘書から報告を受けていない、だから秘書を信じる」という答弁。
この二つは真っ向から矛盾しております。
自分の過去の言葉を消してまで「知らぬ存ぜぬ」を貫こうとする行為は、政治家としての誠実さが完全に崩れたことを意味しています。
デジタルの記録という科学的な証拠に対して、「信じる」という極めて主観的な言葉で防壁を作る。
これはガバナンス、つまり国家をきちんと統治する仕組みの死に等しいと、ワタクシは感じます。
こんな不誠実な態度が許されてしまえば、日本の選挙制度は取り返しのつかない傷を負うことになります。
アルゴリズムが「思考」を支配する恐怖
この問題の本当の怖さは、テクノロジーによる印象操作が、本来あるべき政策の検証を無効にしてしまった点にあります。
工作の実態を申し上げますと、人工知能の技術を使って1日に100本から200本という、とても人間が手作業でできないペースで動画を量産する体制でした。
まるで小さな工場のように、次々と動画が生み出されていくわけです。
ユーチューブのショート動画やティックトックには「おすすめ機能」というものがございます。
これは視聴者が動画をどれだけ長く見たか、どれだけ感情的な反応を示したか、を最優先にする仕組みです。
内容が本当かどうかは、後回しなのです。
この弱点をうまく突いて、高市氏を神様のように持ち上げる一方、他の候補者を嘲笑い、嫌悪感を煽る動画を大量に流し続ける。
すると有権者の思考は「好きか嫌いか」という単純な二択に閉じ込められ、複雑な政策の議論は意図的に追い出されてしまうのです。
また、暗号資産「サナエトークン」の開発者である松井健氏のような「外部の人物」を間に挟む構造も、巧妙なごまかしの層として機能しています。
松井氏は「自分が勝手にやった」と言い、高市氏の関与を否定する「盾」になりました。
しかし、その裏で秘書から動画の素材を提供されていた事実が示す通り、これは政治家自身が手を汚さずに敵を攻撃できる「中傷の外注」の仕組みに他なりません。
この手法が「成功した経験」として定着してしまったら……今後の選挙は、政策の中身の質を競うのではなく、
「どちらが優れた工作技術と人工知能による量産体制を持っているか」を競い合う、空虚な戦いへと変質するでしょう。
そうして高市氏が手に入れた大量の衆議院議席、私たちは今、民主主義の意思決定がコンピューターの仕組みによって乗っ取られる、極めて危険な局面に差し掛かっているのです。
イメージ戦略から、政策論争へ戻るために
ワタクシたちは今、大きな分かれ道に立っています。
巧みに演出された「破壊力のある笑顔」の背後に隠された、対立する人間を「害獣」と断じる指導者たちの本当の姿を、しっかりと見なければなりません。
健全な議論の場を取り戻すためには、もはや政治家の良心に期待するだけでは足りません。
ワタクシたち有権者は今こそ、ショート動画が仕掛ける「感情の罠」を乗り越えなければなりません。
イメージという偽りの輝きに惑わされず、その背後に隠された「政治家としての誠実さ」を鋭く見極める眼力こそが、日本の民主主義を守る最後の砦でございます。
本来、ネット選挙やデジタルを使った政治活動がもたらすべき恩恵は、時間や場所の制約を超えて、
各党・各候補者の具体的な政策や理念を深く有権者に届けることのはずです。
政策論争を真正面から繰り広げる活動がネット上の中心となる、そんな環境を一日も早く築いていかなければなりません。
94年生きてきたワタクシが申し上げます。
戦時中、国民は「敵は鬼畜米英だ」と繰り返し聞かされ、それが真実だと信じ込まされました。
大政翼賛会で国民を「一億一心」「万民翼賛」などのスローガンのもとで組織化し、
生活必需品の配給や防空訓練、国債の消化など、国民生活の隅々にまで統制を及ぼしました。
治安維持法による特高警察、憲兵の監視、一般の市民までもがお互いに監視し合ったあの戦時中の息苦しい時代を経験しております。
情報を操られた人間がどれほど恐ろしい方向へ向かうか、ワタクシはこの目で見てきております。
形は変われど、人の判断を操ろうとする力は、いつの時代にも消えることがない。
しかし、見方をかえれば、人の判断が誤らなければ、この国は、今の平和憲法をもっと、もっと生かして、よい国にできるのです。
だからこそ、一人ひとりが自分の目と頭で考え続けることが、何より大切なのでございます。
最後の一句
笑顔にて 国を憂うと 言う人が 民を害獣と 呼ぶ不思議よ
「国のために」と美しい笑顔で語る口が、裏では対立する人間を「害獣」と呼んでいた。その落差を、怒りではなく94年生きた老婆の静かな「呆れ」で刺し貫きました。
