猛暑と震災、そして希望への眼差し
きょうは8月9日、長崎に原爆が投下されて81年目の夏です。
暦の上では秋が近づいているはずですが、2026年の8月は、まるで大気が人間界の傲慢に怒りをぶつけているかのような、恐ろしいほどの酷暑で幕を開けました。
和歌山や高知で40度を超える熱風が吹き荒れ、お隣の韓国では42.5度という、ワタクシが歩んできた94年の歳月でも記憶にないほどの異常な数字が並んでおります。
昭和の初め、ワタクシが幼少期を過ごした夏の夕暮れには、まだ打ち水の涼やかさや、
風鈴の音が体温を下げてくれる情緒がございましたが、今のこの暴力的なまでの熱波はどうでしょう。
この猛烈な暑さの中、7月28日に発生した熊本地震から一週間が経過しました。
瓦礫の下で、あるいは空調もままならない避難所や、ガソリン代を惜しんでエアコンを切った狭い車内での生活を余儀なくされている被災者の皆様の苦しみを想うと、ワタクシの手元でペンを握る指も震えるようでございます。
こうした過酷な現実に直面する時、テレビの華やかなニュースや、政府の体裁を整えた発表だけを眺めていては、この国の真の姿、そして虐げられた人々の溜息を見失ってしまいます。
だからこそ、今こそ「しんぶん赤旗」の頁をめくることが、私たち一人ひとりにとっての「知の武器」であり「防波堤」となるのでございます。
権力の側ではなく、常に砂を噛むような思いで生きる人々の傍らに立ち、その声を丁寧にアーカイブし続けるこの新聞。
それこそが、混迷を極める現代社会において、人間の尊厳を最後まで守り抜くための指針となるとワタクシは確信しております。
これから、この激動の一週間の記録を紐解きながら、私たちが進むべき「希望の道」を皆様と一緒に辿ってまいりましょう。
一週間の歩み:交錯する苦難と抵抗のクロニクル
2026年8月3日から9日にかけての紙面には、目を背けたくなるような政治の冷淡さと、
それに対して毅然と立ち上がる人々の姿が、鮮明なコントラストをもって描かれておりました。
まず、8月3日の1面が伝えたのは、熊本地震の被災地で立ち往生する人々の悲鳴です。
宇城市で車中泊を続ける73歳のかたは、夜中の余震に怯え、1週間で入浴は一度きりという極限状態にありました。
同月4日の1面では、八代市で38度の猛暑の中、山積みのゴミに囲まれて途方に暮れる人々の姿が報じられています。
これに対し、同日の2面が暴き出した高市早苗首相の姿勢には、憤りを通り越して虚しささえ覚えました。
地震発生から1週間、ようやく訪れた被災地で、首相が避難所を視察した時間はわずか「8分」。
それに対し、上空からのヘリ視察には「42分」もの時間を費やしたのです。
国民の苦悩を「上空」から戦略的に眺める眼差しはあっても、床にマットを敷いて横になる高齢者の「眼の高さ」に降りる心は持ち合わせていない。
これこそが、今の政権の正体でございます。
一方で、8月5日の1面は、高市政権が「戦争で稼ぐ国づくり」を露骨に宣言した2026年版「防衛白書」の正体を暴きました。
人工知能(AI)や無人兵器を「新しい戦い方」として称揚し、軍事産業の育成を成長戦略に据えるその様は、
まさに戦前への回帰、いえ、それ以上に無機質な「殺戮の効率化」への傾倒でございます。
8月3日の1面では、佐賀に配備されたオスプレイが那覇空港や木更津の人口密集地上空で
低空飛行訓練を計画している実態が、日本共産党の追及によって明らかにされました。
さらに、8月4日の1面が報じた「教員未配置3380人」という衝撃的な数字。
未来を担う教育の現場にこれほどの穴があきながら、軍事費には巨額を投じる。
ワタクシの古い書籍の1930年代の記録と、今の紙面が重なって見えて仕方がありません。
8月5日の「潮流」が触れた、丸谷才一の小説『笹まくら』のドラマ化。
徴兵忌避という「国」に抗う選択をした主人公の苦悩は、決して遠い過去の物語ではなく、現代を生きる私たちのすぐ隣にある危機を予感させます。
しかし、この暗雲の中でも、良心の灯火は消えておりません。
学問の自由を守るために立ち上がる科学者の声や、被災地への支援を訴える募金活動の広がり。
これら個々の事象を結ぶ「一本の線」は、命を軽んじる軍事優先の政治と、命を慈しむ市民の良心との決定的な対立を浮き彫りにしているのです。
広島・長崎の祈りを「地獄」から「希望」へ
広島、長崎への原爆投下から81年目を迎えるこの夏、8月4日と5日の紙面が伝えた「原水爆禁止2026年世界大会」の記録は、ワタクシの魂を激しく揺さぶりました。
8月3日の「文化」面で佐藤利明氏が綴った名曲「長崎の鐘」の由来。
永井隆博士が「人類は二度と同じ過ちを繰り返してはならない」と願ったその調べが、今、再び切実な響きをもって聞こえてまいります。
世界大会で語られた、被爆者の皆様の「生きた言葉」は、核抑止論という机上の空論、いわば権力者の「ゲームの駒」としての論理を根底から突き崩しました。
日本被団協の児玉三智子さんが語った、7歳の時の記憶。
光の後に窓ガラスが体に突き刺さり、父に背負われて見た「炭のようになった赤ちゃん」や「眼球が飛び出した人々」。
また、長崎で被爆した横山照子さんが語る、盲目となり「私、何の罰を受けているの?」と問いながら亡くなった妹さんの最期。
これらの証言は、単なる過去の記録ではございません。
それは、核兵器を「国家の威信」や「抑止の道具」と見なす傲慢な前提を、一瞬にして「絶対悪」へと書き換える力でございます。
8月4日の紙面、オーストリア政府代表のワインウィスロツキ参事官が語った「核兵器禁止条約こそが希望の光」という言葉。
それは、原爆資料館に静かに展示されている、あの中身が黒焦げになった弁当箱が放つ無言の叫びと共鳴しています。
弁当箱の鉄錆の匂い、そして失われた日常の温もり。
そうした肉体的な感覚を伴う「実相」が、核兵器という悪魔の飽食を国際規範の外側へと追い出しているのです。
祈りが感傷を突き抜け、具体的な条約という「人類の叡智」へと形を変えていく瞬間。
そこにこそ、ワタクシたちがアーカイブし続けるべき希望がございます。
足元から沸き起こる平和のうねり
この8月、ワタクシが何より勇気づけられたのは、名もなき市民たちが自発的に立ち上がり、民主主義の防波堤を築いている姿でした。
8月3日の「地方総合」面で紹介された、東京・中野駅前でのパブリックビューイングの情景は、誠に鮮やかでございました。
高さ2メートルのスクリーンに映し出される、国会前の色とりどりのペンライトの光。
そこには、29歳のサトウさんのように、政治に無関心だった若者が「生活が脅かされる」という危機感から一歩を踏み出し、「出入り自由な緩い連帯」の中で声を上げる姿がありました。
デモや集会が、かつての「恐怖」や「過激」といった負のイメージを脱ぎ捨て、自分らしくあるための「誇り」の表現へと変容している。
これは、ワタクシのような古い人間から見れば、民主主義の新しい地平に見えます。
北海道の「道北ネットワーク」が、住民説明会もなしに進められるミサイル配備に対し、2万6千筆を超える署名を届けたというニュース。
また、福井の小浜駅前で、17歳の高校生が「戦争は人の命を奪うもの。何一ついいことない」と飛び入りでマイクを握り、それを中学3年生がSNSで見て駆けつける光景。
数字の背景にある一人ひとりの生活者の顔、その熱い体温を感じる時、権力がどれほど軍拡を推し進めようとも、市民の心まで支配することはできないという確信が生まれます。
158カ所以上で連携された国会前アクションのうねりは、まさに私たちの足元から、国家の暴走を止める「最強の防波堤」として機能し始めているのです。
大国の傲慢と、草の根に見出す「アメリカの光」
視線を世界へ向ければ、8月3日の2面が報じた、トランプ政権による国際刑事裁判所(ICC)への攻撃という、背筋の凍るような暴挙が目に飛び込んできます。
ICCの機能を「体系的に解体する」と言い放ち、職員への制裁まで行うその姿は、まるで人類が長い年月をかけて築き上げてきた「法の支配」の神殿を、古い建物を壊す冷酷な槌で打ち砕くかのようでございます。
さらに同日の国際面では、移民排除政策がいかに米国自体の経済と地域コミュニティを崩壊させるかが、冷徹な分析とともに綴られておりました。
移民の摘発は、単なる不法入国の取り締まりに留まらず、家計や隣人愛といった社会の最小単位を破壊し、結果として経済そのものを縮小させるという皮肉な結末をもたらします。
それは、まるで自分の足元の土台を自ら削り取っているような愚行に見えてなりません。
しかし、この大国の傲慢という暗雲の隙間からも、確かな光が差し込んでいます。
ニューヨークのマムダニ市長が、ネタニヤフ首相を「戦争犯罪者」と呼び、ICCとの連携を主張する声明。
そしてDSA(アメリカ民主的社会主義者)の若者たちが、経済的正義を求めて草の根で闘っている姿。
これこそが「もう一つのアメリカ」の希望であり、赤旗というメディアが、大手メディアが黙殺しがちな「世界の真実」を、
こうした小さな声から拾い上げて届けてくれることに、ワタクシは深い感謝を捧げるのでございます。
「しんぶん赤旗」電子版という「知の武器」
さて、ここまで重厚な物語を辿ってまいりましたが、最後にワタクシが毎朝の日課としております「しんぶん赤旗」電子版の魅力をお伝えさせてください。
ワタクシのように94歳を数えますと、若い頃のように大きな新聞紙をバサバサと広げることさえ、少々骨が折れることもございます。
しかし、電子版なら、パソコンの大きな画面で文字を自在に拡大でき、視力が衰えた目には音声読み上げ機能が優しく耳に真実を届けてくれます。
特に、過去1年の記事をキーワード一つで検索できる機能は、ワタクシのようなナラティブ・アーキビストにとっては、まるで自分専用の巨大な図書館を掌中に収めたようでございます。
「高市政権のあの発言、どこに矛盾があったかしら」と思い立った瞬間に、過去の紙面から真実を手繰り寄せることができる。
この「知の武器」こそが、デマが渦巻く現代を生き抜くための鍵となります。
また、電子版で読む芸能やスポーツの面には、ゴシップ誌の「冷たい刃」ではなく、一人の人間としての苦悩や歓びに寄り添う「温かい眼差し」が溢れています。
経営の危機が叫ばれる昨今、この新聞を支えることは、単に購読料を払うことではありません。
私たちが真実を知る権利、そして未来の子供たちが平和に生きる権利を買い取ること、そのものなのです。
ワタクシも毎朝、パソコンの前で背筋を伸ばし、お茶のいっぷくと共にこの「真実の灯火」を灯し続けております。
結び:魂の一句
酷暑耐え ペンと祈りで 明日(あす)を編む
どれほど政治が冷酷で外気が熱くとも、私たちは言葉の力を信じ、一歩ずつ平和という布を織り成していく覚悟を持たねばなりません。









コメント